2016年3月10日
党農民部長(3) 小林 克
「あの親父も、ようやくの思いで学資を出して、息子の出世をたのしみにして来たのに可愛想なものだ」といつか彼のことをいったことがある。
その批判の基準が、まるで革命家のそれではなく、わたしの育って来た家庭にみられた程の精神の峻厳性さえないように思われた。かなり出世した男が、後輩の失敗を気にかけているようなものであった。高揚した精神を期待していたわたしは、ひどくとまどった。丁度その数日前、遠い郷里から面会に来て、黙ったまま、わたしをみつめて涙を流した父の姿と思い合わせたのである。
古本の積荷の向こうから顔を出した島木健作が、
「ここで話はいけませんね、そうでしよう、さきに、大学の方へ行ってて呉れませんか」
というので、わたしは照りかえしのつよい電車通りを横切って、ふらふら赤門から構内に入って行った。
わたしたちは、三四郎池の畔の、何か広い岩に腰を下ろして向かい合った。何を彼に伝えたか、今はもう忘れたが、彼が注意深く、わたしのいうことに聞き入っていること、公的なことと私的なことをはっきり区別して受け入れたことを感じた。きき終わると
「そんなもの、何にするつもりなんだ」
と、硬い声でいうのが聞こえた。島木は作品でもみられるように、自己の判断を隠すような人間ではなかったらしい。この人間の態度は、わたしの倒れかかった偶像に、すこしは、つっかえ棒をかけたようなところがあるかもしれない。