2016年3月11日
akira's view 入山映ブログ 有元利夫
いつまで続く残暑なのだろうと思う。白金の庭園美術館で開かれている有元利夫展が後二日だというので、ひとときの涼を求めることにした。筆者よりも十歳近く若いこの画家はしかし、三十八歳で夭折する。中世宗教画を独自のタッチで変化させた、というか蒸留したような作風の有元は、彼がこよなく愛したバロック音楽そのものの様な作品を残した。今回の展示は二百点を超える絵画の他、乾漆、木彫など珍しい作業も含むとてもすてきな展覧会になった。展覧会のタイトルが「天空の音楽」だったが、まさにタイトル通り、熱暑の中で心を洗われて美術館を後にしたことだった。
この美術館は、旧朝香宮邸をそのまま一般に開放した作りになっている。筆者に見る目はないが、アール・デコの建築として高名なもののようだ。実は昔この近くに住んでいたことがあって、当時この邸宅跡が西武の買収にかかる話が持ち上がり、周辺住民や施設がこぞって反対運動を展開し、筆者も署名活動に参加したのを思い出す。広々とした庭園で陽射しを避けてベンチに座り、わたる風を心地よく感じていると、本当に商業資本の開発などにかからなくてよかった、と思う。なにも西武のきんきらホテルがいやだというだけではない。丸の内の昔の八丁ロンドンを知る一人としては、無味乾燥なビル群に成り果てたあの界隈を情けなく眺めているのと裏腹の思いである。
銀行会館のように、旧いファサードの一部だけを高層ビルにはめ込んであたかも保存に尽力したかのように見せる、というのはほとんど醜悪の極みで、カタコムの骸骨を見る思いさえする。三菱地所の手にかかる丸の内から有楽町にかけての再開発も、没個性的なビルが並び、その中にはこれまた没個性的なテナントがひしめく。五十年後、百年後の検証にはとても耐える筈もない建築空間を見ていると、わが国のそれはストックではなく、フローに過ぎないというのが実感として身にしみる。作っては壊し、毀してはつくる戦後の営みは、真の豊かさ、あるいは後世に遺す遺産、とは何の関係もなかった。その限りでは、公共投資だけが諸悪の根源だった訳ではない。
ことは丸の内に留まらない。赤坂しかり、六本木然り。さらには地方都市、奈良・京都も死屍累々の趣がある。なんでもいいから旧ければ残せ、という懐古趣味に堕したと誹られないでもないが、ことここに及んでは、そろそろそういうラディカルなスタンスをとっても良いのではないかとさえ思う。と、有元の展覧会が妙に脱線した。
2010年 09月 05日