2016年3月11日
党農民部長(4) 小林 克
三ヶ月程して、わたしが家に帰れる日が近づいた。当時、われわれの三畳程の部屋は、なんでも十一、二人つめこまれていたように思う。夜になると横向きになって、足と頭を互い違いに合わせて身動き一つ出来ないで寝についた。
茨城から来た神兵隊関係の老人がいて、国事を憤慨してはあきらめられぬとあきらめた、とよくいう。左翼の若いものに、つっこまれると、やさしい眼付で微笑するのであった。すり(・・)もよく来たし、恐嚇もいた。さぎ(・・)で器械ブローカーが入って来た時は、ブローカーというのは犯罪名だと思っていた程、わたしは世間しらずであった。土地がら、てき(・・)屋や愚連隊もよく入った。
不思議に、わたしに好意を寄せた不良少年がいた。ある日、農民部長が検事に呼ばれていない時に、彼は、実に腑に落ちないというおももちで、わたしにいうのであった。
「お前は、ほんとに、あんな奴を尊敬しているのかい、おれにはどうしても分らないなア」
わたしは、その率直な声に、胸をつらぬかれるように感じた。わたしは、即座に、返事も出なかった。見廻わすと、みな聞かぬふりをして着物の縫目をひろげてはしらみをとっていた。
「おれは嫌だな、あんな嫌な奴はないよ」
と続けて彼は、吐き出すようにいった。