2016年3月14日
党農民部長(5) 小林 克
農民部長は起訴されていて、刑務所に送られる運命にあった上に、差し入れもないので冬を恐れていた。彼の慾しいのは防寒の衣類であった。わたしの新しい腹巻をねらっていたのはわたしも気づいていた。ところが、あの不艮少年も同じ境遇で、親は麹町で、かなりにやっている洋服商であった。勘当になっていて面会もなかった。傷害事件なので、彼にも冬はきついのである。
順番で便所を待っている時にみた、彼の脱糞の姿は実に印象的であった。若い犬が、朝眼を覚まして、力強く、脚をふんばった強健清冽なのである。この男をいつかわたしは愛していた。
腹巻をどちらにやらうかと思いまどった。そして考えた末に、わたしは、農民部長へ腹巻に浴衣や下着を添えてゆずることにした。彼にこの話をすると、それから暫くは、わたしに対して言葉使いまで改まった。しかし、わたしは、あの不良少年に対して、恥辱で顔もまともに向けられぬ数日を過して、秋風の吹くころ家に帰って来た。身体は恢復しなかったが、農民部長からの連絡のために島木健作を訪ねたわけだ。
話が終わると、島木は気がついたらしく、この大学ではなかったのですね、遠いところをすみませんでしたね、といって、わたしの疲れ切った顔色から、幾つかの話を引き出してくれた。それは、わたしの心に泌み入るようなものをもっていた。
彼が島木健作だということを、わたしが知ったのは、それから、ずっとたってからである。
(一九五七・七・三) (国立武蔵野療養所勤務 脳病専門医)