2016年3月15日
akira's view 入山映ブログ ジゼル
東京バレー団のジゼル公演に行ってきた。英国ロイヤルバレエからアンナ・コジョカルとヨハン・コホーの参加を得ていて、この二人が素晴らしいできだった。ルーマニア生まれのコジョカルは身長155センチと小柄だが、村娘ジゼルのひたむきさと素直さを表現するのに、巧まずしてそれがプラスに働いていたように見受けられた。コホーは第2幕、仙女の魔法にかけられて踊り狂う場面で見せる連続十数回のジャンプは見せた。この二人は私生活でもパートナーとかで、息のあったコンビも当然かもしれない。
それにしても、東京バレー団のアンサンブルは特筆に値する。個々人の体格・技量において西欧の踊り手にかなわないのならば、一糸乱れぬ調和で対抗しようというのが基本的なコンセプトだとバレー団の主宰、佐々木氏に伺ったことがあるが、群舞はいうまでもなく、6人の踊り、8人の踊り、いづれも観客を堪能させるものがあった。一糸乱れぬ調和といえばかの北朝鮮の「喜び隊」の民族舞踊が有名だが、ファシズムの下での統制された創造性なき調和と、個性を前提とした任意性に基づく調和との違いは、一見すれば明らかだ。もっともこんな比べ方をされたのでは東京バレー団の皆さんはさぞ不本意だろうが。
このジゼルの公演もそうだったが、このところ上野の文化会館と並んでバレーの都内公演の定番になっているのが五反田のゆうぽうとだ。旧・郵政省時代の外郭団体がお建てになった施設だけになんとも味気のないのは致し方がないとして、文化都市東京が、こんな貧相なホールしか持っていないのは寂しい。お役所やその外郭団体が建てる施設というのは、遊びとゆとりが全くない。(たまにそれらしいものを設けると何とも間が抜けたものになる。これは別論。)その典型が飲食スペースだ。公共施設の「給食」機能としかいいようのない殺風景な空間。「はれ」の時間を演出する、といった心遣いはどこにも見られない。同じオカネを使うのならば、もう少し気の利いた使い方もあるだろうに。
不思議なのは、最近あちこちに建つ公営の美術館の多くが、極めて洗練され、訪れて楽しい空間になっているのとの対比だ。コンサートホールの方が経営が難しいであろうことは想像に難くないが、だからといって一頃大流行した「多目的ホール」という得体の知れないものが増えれば良いというものでもあるまい。悪しき公共投資の典型例がハコモノであるといわれる。小粒でぴりりと辛いバッハホールの様なものと違い、収容人員を一定数以上確保する大型ホールの経営は確かに楽ではないだろう。欧州のように税金で維持するか、アメリカ風に民間寄付で運営するか。そろそろ一工夫するころかもしれない。こんなことをいうと仕分けにかかるかな。
2010年 09月 10日