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2016年3月17日

akira's view 入山映ブログ 谷啓

 クレージーキャッツの谷啓の死去が報じられた。芸能人の一挙手一投足にはまるで縁のない筆者だが、青春時代の一頁と関わりの深い名前だけに、懐古の思いを含めて昭和30年代初期の東京の音楽風物詩の一端を記しておきたい。とはいえ、当時はまだ筆者は高校生。耳目に触れるものも自ずからあどけないことどもに過ぎないことは予めお断りしておこう。

 クレージーキャッツとの出会いは、昭和30年代初め、銀座のジャズ喫茶(というのかなあ、いまでいうライブハウス。ただし昼間からやっていて、お酒は出さなかったように記憶する)「テネシー」だった。音楽が途中で脱線したり、洗面器で頭を叩くギャグが入ったり、で爆笑を誘ったのみならず、ボーカルに何とも名状し難い声の持ち主がいて、それが中島そのみだった。彼女は後に団令子、重山規子と「お姐ちゃんトリオ」を組んで人気を博することになる。クレージーキャッツそのものがテレビで絶大な人気を得るようになるのはもう少し後のことだ。おなまな高校生は、好みの音楽によってごひいきの店が分かれていたが、お互いにお互いの趣味を低く見るところがあって、百軒店のモダンジャズ(ダンモといった)店でセロニアス・モンクだ、コルトレーンだといっているやつから見ると、シャンソンだ、ましてクレージーキャッツなどは程度が低くて論外だったし、タンゴ好きは「あの田吾作が」などと言われつつ、新宿の「まりも」に沈殿するのを常とした。

 シャンソン好きには良き時代だったように思う。あちこちに生のバンドで歌を聴かせるこじんまりした店があって、中の横綱格が銀座の「銀巴里」だったろうか。とんとんと階段を数段下りて重い扉を開けると、別世界が開けたものだった。最近はニューハーフとやらで重鎮の美輪明宏さんは、当時丸山慎吾(後に明宏)の芸名で、「メケメケ」や「よいとまけ」を原信夫とシャープスアンドフラッツの伴奏で歌っていた。

 火災で焼けてしまった赤坂のホテルニュージャパンの地下にラテンクオーターという当時としては一流のナイトクラブがあった。本来ならば高校生なんぞが出入りできる場所ではなかったのだが、学校のすぐ近くだったこともあって、当時人気絶頂のトリオ・ロス・パンチョスのステージがある時には、友人のそのまた友人のコネで、そっと潜り込み。カウンターの片隅でうっとり聞いていた。「ラ・マラゲーニヤ」のファルセットの印象は今に鮮やかだ。

 クラシックは日比谷公会堂、それに昭和30年1月占領軍の接収(アーニー・パイル)から返還された東京宝塚劇場が主な会場で、時には東京体育館での演奏会なんていうのもあった。イイノホールや上野の文化会館がオープンするのは昭和30年代後半のことだ。だから、日比谷公会堂というのはクラシック演奏家のメッカの観があり、往年を懐かしむ人々の間では、文化会館、NHKホールを始めとするコンサートホールが出来た後にも、ここでの演奏会を復活させようとする運動があったくらいだ。まさに隔世の観だね。

2010年 09月 14日



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