2016年3月30日
akira's view 入山映ブログ 源泉徴収
10月1日。街頭で小学生が黄色い声を張り上げて赤い羽根募金を始める日だ。秋の訪れを告げる風物詩になっているといってもよいだろう。この赤い羽根、最近募金額が減っているとはいうものの、200億円からの寄付を集める巨大集金機構で、その四分の三ほどは戸別の割当ての様な手法で集められているのは周知の通りだ。街頭の十円・百円は言わずもがな。戸別割当の募金にしても、何とはなく良いことをした心持ちになって、ことはそれで終わり、という向きが大半だろう。つまり、それがどこに、どのように使われるか。中央募金会や各都道府県にある共同募金会に、どれほどの役人のOBが天下って、どれほどの給与をとっているか。集まったおカネの配分先は、誰がどのように決めているか。そんなことは、もうあなたまかせ、という訳だ。
共同募金の方でもそれを良いことに、一般市民の意見や知恵を積極的に取り込もうとしないのみならず、ホームページを見ても、肝心のデータについてはおよそ木で鼻をくくった様なものしか掲載されていないのは、一度でも物好きに覗いてみたことのある人ならばご承知の通り。やれタレントを動員したマスコットだとか、テーマソングだとかにはご熱心だというのは、一種の愚民観に基づいているのではないか、とひが目で見たくもなろうというものだ。が、それを以て共同募金会のみを非難するのはお見当違いというものだろう。募金に限らず、税金についても、その使われ勝手について、積極的に把握してみよう、ましてモノ申してみようという、いわゆるタックス・ペイヤー意識というのは、ほとんど存在してないと言ってよいからだ。
その原因は数多いが、一つには源泉徴収という制度に問題があるように思う。いまや労働者の9割を占める給与所得者は、源泉徴収という制度のおかげで、税引後の手取り給与額にしか関心がない。はなはだしきは自分の払っている税額をご存じない、という向きだって決して少なくない。自分で申告して、いかに多額の税金を払っているかを認識すれば、自ずとその使い道についても関心がわき起ころうというものではないか。自己申告には手間ひまがかかる。しかし、一年に一度くらい一時間や二時間、この國を支えている税金というものを自分がどれほど負担しているかの認識に使ってみるのも悪くあるまい。スローガンだけの民主主義ではなく、本当に自分が参加する数少ない機会になるからだ。
ちなみにこの源泉徴収という制度、もともとは戦争の費用を効率的に徴収するために1940年に導入された畸形児で、今時こんな制度を使っているのは、由(よ)らしむべし、知らしむべからず、の日本くらいのものではなかろうか。知らないで官僚の手の上で踊っているのは何も政治家だけではない。
2010年 10月 01日