2016年4月15日
風呂敷(2) 田中梅吉
そんな時流の一面に、いくらか反撥したところもないとはいわぬが、ふとした自然の必要が因となって、私は三十余年来の通勤生活の必需品たるこのしろもの(・・・・)から、近ごろだんだん縁遠くなってきた。そして、そのしろもの(・・・・)に代って、私のために、まことにかいがいしくお役にたってくれているのが、風呂敷なのだ。これは何も明治へのノスタルヂャからきたことではなく、その因ってきたるいわれには、私なりの事由があった。
別にブック・マニアといわれるほどでもないが、私にはいささか文献蒐集をたしなむ病がある。その上に、この年になっても、私の乱読と乱究の宿癖は、すこしも改まりそうもないのだから、自分の研究にいくらかでも関連がありそうな図書などを、新刊のカタログでちらりと目にふれると、日頃ポケットの乏しさにいじけきっている心臓が、急にはずみだして、大学などから購入してもらうのが待ちきれず、家計の限界線も何のそのといったことになってしまう。