2016年4月18日
akira's view 入山映ブログ 暴力装置
株価が一万円を回復したり、企業業績が多少上向いたりで、少し明るい気配が漂い始めたとはいえ、経済に対して政治の機敏な対応が強く求められている昨今、そんな情勢はおかまいなしに問責決議案だ、解散に「追い込む」んだ、とあいも変らぬ一昔前の国対政治をおやりになっている国会には化石をみている観がある。まあ、政治家とか政党というのは政権を取ってなんぼ、という面があるのは確かだから、あまり訳知りでより良い解決策を求めるのに協力などしていると、結果的に現政権に協力した事になり、自分の天下をもたらすのには役立たない、ということなのだろうか。だからといって、また一年足らずで新しい総理大臣の顔がみたいと思っている人も少ないだろうに。
それにしても仙谷官房長官の「暴力装置」発言を巡るやりとりには驚いた。辞書を引くと、暴力というのは「乱暴な力、無法な力」という意味だと言う。普通には「物理的な強制力」という意味では使われないようだ。とすると、政府の、あるいは国家の持っている国民に対する強制力というのを端的に表現するコトバが見当たらない。税金を滞納しました、司法警察官の言うことを聞きませんでした。その時に有無を言わせず引っ括って暗いところに入れる、というのはやはり「暴力」という言葉が一番ぴったり来るような気がするのだが。もっとも、専門用語というのは時として日常の用語と意味が違うことがある。例えば悪意.善意というのは法律用語では単に事情を知っていたか、知らなかったか、という意味でしかない。だから国会答弁で「悪意で言ったに決まっているじゃないですか」なんて言ったら、知っていて言ったに決まっている、とは誰も受け取らないだろうね。政治の場での用語選択というのはことほどさように神経を使った方が良いということかもしれない。マックス・ウェーバーも苦笑しているだろう。
ならば相撲協会がお付き合いしたのは「反社会的勢力」などと回りくどいことをいわないで、はっきり「暴力団」といえばよさそうなものなのだが、こちらのほうはなぜか婉曲な表現を敢えてお使いになったようだ。使い分けにもいろいろあって、「思いやり予算」なんていうのも日本でしか通用しない。英語ではhost nation support(駐留国負担)で「思いやり」なんていうニュアンスはない。英語は国際語だとは良いながら、不得意で国際会議で一人ぽつんとしている政治家もいるとか。もっともなまじ得意顔でTrust me.なんて言った挙げ句後で収拾がつかなくなるお粗末な英語使いよりは良いか。
2010年 11月 20日