2016年4月20日
緑色の大砲(1)―船の話 Ⅳ― 丸山 薫
初めて船らしいものに乗ったのは、五歳のときで、船の名はコーシュンマルだと憶えている。コーシュンマルは恒春丸と書き、三千屯級の貨客船だった。日本郵船の船で、大正年間までは、韓国北岸へ向けて就航していた事を、その後になってから知った。
僕はその恒春丸に乗って、母といっしょに、父の任地である韓国に行くために、下関から釜山港へ渡ったのだった。ランチが沖泊りの船に横付けになると、吊り下ったタラップの下端に待ちかまえていた白い上衣のボーイに抱きかかえられて、いきなり高い舷側を甲板まで運ばれて行った。そのときの恒春丸の船腹の漆黒の絶壁のような高さと、ゆらゆらと空中へせり(・・)のぼってゆくような実感は、五十余年後のいまなお鮮やかに甦えるのである。そういえばランチの低い舷と恒春丸の赤い吃水線とがふれ合おうとして、両者の間に狭められた青い海面に、真っ昼間の太陽に透けて夥しい海月が群り泳いでいたことも、奇妙に瞳にのこっている。たぶん生れて初めての経験に踏み出そうとする緊張が、一瞬、意識の一部に表面張力のような状態をつくり、その部分の映像がつよく記憶に再現するのかとも思われる。