2016年5月2日
akira's view 入山映ブログ 非営利
専門用語が日常使っている言葉と全く違った意味で使われることがある、という実例については先に触れた。(11.20「暴力装置」)
「営利」というのもそのひとつで、普通は「利益を得る」とか「お金儲けを目的とする」という意味で使われる。法律用語としても、営利誘拐とか営利保険という場合にはそういう意味で使われているといってよい。ところが、法人について営利を目的とする、とか目的としない(非営利)、という場合には、利益を得るかどうかが問題なのではなく、あがった利益を関係者あるいは構成員で配分する、という意味になる。
営利法人というのは株式会社がその典型だが、これが利益を追求する組織であるのはいうまでもないが、ことはあがった利益の使われ方で、株主に対する配当とか、役員の賞与とか、要するに会社構成員の間で配分する、というのが基本になる。これに比べて「非」営利法人というのは、利益を挙げてはいけない、というのではなく、あがった利益を構成員の間で配分しない、してはいけない、という仕組みのことだ。だから、非営利法人のくせに金儲けをするのはけしからん、というのは当たらない訳で、金儲けはいくらしてもかまわないが、それをお身内で遣ってしまってはいけません、というが正しい。
お金儲けのために、経済学の用語でいえば限界利益の極大化のために、一生懸命努力する。何のためかといえば、窮極のところはそれが自分のためになる。つまり一身の利益動機というのが全ての経済発展の原動力だ、というのが市場制経済の基本であるとされた。極めて解りやすい。では非営利法人というのはいったい何のために頑張るんだ、というと、それは「世のため、人のため」という思いだ、というのが通説だ。つまり恵まれない人のために、社会的弱者のために、よりよい社会を実現するために機能するのが組織目的だ、という訳だ。
一見したところ利益動機、という意味では両極に位置するかにみえる営利法人と非営利法人だが、この二項対立ともいうべき考え方の基礎にはひとつの先入観が存在する。つまり、利益動機に基づく市場制経済というのは「血も涙もない」優勝劣敗のジャングルの論理が基本にあり、富めるものはますます富み、貧しきものはますます貧しくなる。この配分の不公平あるいは社会的不正を是正するのは国家の役目だ。ところが国家、つまりはお役所仕事には、宿命として別の意味での人間性の欠如がつきまとう。それを補うところに民間の非営利組織、別名「市民社会」の存在意義がある、とするものだ。
これについてはまた異論があったりしていろいろ長くなる。何回かに分けて書いてみようと思う。
2010年 12月 19日