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2016年5月9日

「変わった本たちとの出会い」(3)百科事典 竹下英一

(今度の熊本地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。私にも複数の縁者があるので、毎日テレビに釘付けになっていました。幸い皆無事でした)
昭和24年、連合国の支えによる学校給食が本格化し、子供たちの病気は、栄養失調と下痢性感染症からはしかなどの飛沫感染症や寄生虫に代わり、致命的ではなくなりました。文化的な行事が復活し始め、学校では学科の勉強が重んじられるようになりました。私のような、体を動かすより本の好きな子供には好都合な変化でした。当時の小学校の教員の半数以上は20才位の女性の代用教員でしたが、とても若々しく、献身的に働きました。多くの教員がまもなく結核に罹って数年の休職を余儀なくされたほどでした。今小学校のクラス会でお目に掛るとほとんど年齢差を感じないのに驚きます。

 衣食が何とか足るようになると政治の季節が始まります。子供ながらに新聞を覗きラジオを聴くようになって気が付いたら、世の中は大規模なストライキや労使紛争、政治的な背景のある事件の連続でした。昭和25年に始まった朝鮮戦争がその掉尾となりました。この時は新聞に毎日、半島の戦況図が載り、新しい世界の知識に夢中になっていました。

 湘南地域の電車事情も改善し、日中で大人と一緒であれば小学校高学年の生徒は横浜、東京方面に気軽に遠出できるようになりました。若干左傾していた若い男性教員が勧めた家永三郎著の中学生向け新刊「新日本の歴史」7冊本を再建直後の横浜桜木町有隣堂に買いに行った時の、何とはない熱気を覚えています。

 私にとってもっと重要だったことは、旗の台やその付近に住む祖母や叔母たちの家との行き来が楽になったことでした。この人たちが戦災を掻い潜って持っていた戦前の出版物の数々は私を夢中にさせました。例えば、伯父の几帳面な書き込み付きがある普通科中等学校(今の高等学校)の化学教科書が残されていて、私の見慣れたアルス文庫とは違う「本物感」を発散して魅力的だったため、譲ってもらい持って帰りました。こうして化学が私の一生の仕事の場になりました。そのほかの本の大部分は、昭和初期に一冊一円(現在価値約3000円)という初めての大衆価格で発売された文学全集、教養全集(いわゆる円本)でした。すぐに取り掛かるのはさすがに無理でしたが、ほとんどの漢字には小さくふり仮名がしてあるので、中学生になった頃には読み始めていました。これらの本で旧仮名遣いや漢文調、擬古文体などの文語体にも自然に慣れていけたのは大きなプラスでした。

これらの様々な書籍の中で私にとって最も大きな意味をもったのは、昭和3年冨山房が出版した「日本家庭大百科事典」3巻との出会いでした。今のようなネット検索がまだない時代にあって、百科事典は、その時代の人間知識の全てに網を掛けよう、字数、ページ数の限度内で最善を尽くそうとする試みです。この百科事典は数ある中でも最もコンパクトなものに属し、もうかなり傷んだ状態で祖母の手元にありました。初め祖母の家に連れて行ってもらったときにあれこれ読み散らしていましたが、次のような検索頻度が高くなる事情が生じたため、無理を言って譲り受け家に持ち帰ることになりました。

 この少し前、祖父が仕事上の通信で入手したり、叔父たちが趣味で集めていた外国の郵便切手を、偶々私が一括して引き継ぐことになりました。使用済み絵葉書・封書の普通切手を剥がしたものがほとんどで、傷みがあって価値が低いせいか、ほとんど分類整理されてずに箱に入った状態でした。発行国は米英独仏露中のほか、東欧の小国やアジアの列強植民地らしいものまでありましたが、文字は読めず意味も分からず、整理を始められるように指導する人もいませんでした。

 ところがそのとき、この百科事典が手掛かりを与えてくれました。ある国の名前で引くと、歴史や文化の紹介のほかに簡単な地図と主要な都市名、及びその国語のアルファベットと読み方、通貨の呼称や日常会話の単語まで載っています。これらの情報によって印刷面やスタンプの単語の読みや意味の見当がつくと、国、発行年、使用時期、金額などが分かってきます。これらを国別、年次順に分類整理できそうだという自信が生まれました。結局中学校終了頃までかかりましたが、全部を完全に分類し終わることができました。この作業を通じて外国語全般への興味が生まれ、これもまた一生の財産となりました。

 百科事典は日本及び外国の文学や音楽その他の芸術についての貴重なガイドブックともなりました。後にお話する歌舞伎演劇の鑑賞についても、百科事典は必要なほとんどの予備知識を与えてくれました。こうして高校初め頃まで私のパートナーであったこの百科事典は、その後ほとんど引くことが少なくなりましたが、捨てる気にはなれず、今でも本箱の一番奥にぼろぼろになった身を横たえています。もっとも、彼(彼女)が常に有用な知識を与えるだけの存在であったのではなく、ページをめくれば時に、印刷された時代が信じられないほどの鮮やかな色彩で気恥ずかしく艶めかしい話もしてくれたのです。(つづく)                 

平成28年4月 竹下英一



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