2016年5月12日
サルトルのボードレール論(2) 松井好夫
しかし、私は必ずしもそうとは思わない。それは観点の相違であり、サルトルのこの書物で意図したところは、詩や散文詩を中心とする芸術的批評ではなく、ボードレールと云う一個の人間を、実存主義的に赤裸々に解剖しょうとしたものであり、その人間像の基礎を成すところの生い立ち、家庭的、社会的環箋及性格の形成に重点をおいて分析のメスを振ったのである。しかもこれを詳細に究明することにより、「悪の華」や「巴里の憂欝」が如何にして生れたかと云うポイントに触れることになるのである。更に云えば、この詩人を理解する重要な鍵を発見することが出来るのである。
ボードレールのような、異常精神的な詩人を理解するには、単にその詩だけを読んだところで容易にわかるものではない。これを見きわめるためにはあらゆる角度からの研究と同時に、多くの精神病理学的、精神分析学的研究なりのパトグラフィを必要とするのである。