2016年5月13日
akira's view 入山映ブログ マスメディア
広島の秋葉市長が、引退の記者会見を開かないでユーチューブだけにコメントをした、とか、国会やマスコミにはとんと無愛想な小沢一郎さんが、ニコニコの動画でだけは雄弁だとか。とかく選択的にメディアへの露出をなさる政治家が増えてきた。既成の新聞だ、テレビだの報道姿勢がいかがかと思われるのについては、同感の意を表明される方も多かろう。訳の分からないタレントもどきをアンカーパーソンに据えてみたり、やたらおちゃらけてみたり、あげくの果ては景気の悪さもあるのだろう、見境なしのスポンサーオンパレードで宗教団体のコマーシャル迄登場するに至ったテレビもテレビなら、「小沢ぎり」なんていう大見出しを一面トップに据える品の悪さ、さらには老害を自主規制できない経営体質、「人が犬を噛まなければ」記事にならないのから一歩を進めて「噛んでみたらどうですか」みたいなあおりの姿勢が目立つ大新聞。だからといって、これを無視したり、ないほうが世のためになる、という風潮が支配的になるとこれもまた困ったことになる。
中国は言うに及ばず、プーチンからメドベージェフになったロシアという国も、所詮民主主義とか報道の自由と言う体質は根付く筈もないのだろうか。まあ、それが共産主義国というものだ、と醒めて見ていれば、ベラルーシュの選挙干渉や報道規制の現状も当然なのでしょうね、と冷ややかにとらえて、あの国に民主主義が定着するのには後何年、何十年かかるかしら、という態度にもなろうというものだ。共産主義ならずとも、自由な選挙とか言論の自由が存在しないミャンマーのような国も、これと同列に論じられる事になるだろう。要するにマスコミの資質とかあり方と一言でいっても、そこには画然としたレベルの差がある、ということだ。ところが、旧中央ヨーロッパの民主化の優等生、自由な選挙制度がいち早く定着したハンガリーが最近おかしくなっている、ということになると、いささか趣が異ってくる。
腐敗した社会党政権の後を受けて、国民投票で過半数、議席数では憲法改正に必要な三分の二を獲得したヴィクター・オルバン率いる右派政党フィデシュは、先に社会党に追われて野に下ったときに、極めて冷たいあしらいを受けたマスコミに対して強い不信感を持ったこともあって、強い規制的態度で報道機関に臨んでいる。その一つが言論統制機関としての「メディア・カウンシル」の創設で、この機関は「バランスを欠いた」あるいは「人間の尊厳」を損なうような報道には禁止的懲罰を加える権限を有する。これには国内からも高名なピアニスト、アンドラーシュ・シフを始めとする文化人からの異議が申し立てられているほか、西欧メディアも攻撃の砲列をひいている。回り持ちのEU議長国が今年ハンガリーになることもあって、その適格性を問う、という論調まで見られる。意に添わないメディアはショートカットして相手にしない、というのは洋の東西を問わず、政治家が陥りがちな誘惑のようだ。
2011年 01月 06日