2016年5月18日
よしなしごと(2) 斎藤玉男
洗い濯ぎは主婦にとって煩わしい務の一つである。苦しいまでではないが絶えざる負担であるに相違ない。ところで電気洗濯機が出来た今、主婦は何か物足りなさを感じないであろうか。洗濯への郷愁とも言えるものを。
ジャブジャブと躍る盥の水の反射光、豊かな石鹼の泡の肌触り、それに浸りながら組立てる晩の献立表、昨日の訪問客の半襟の趣味の批判等々――
これは主婦生活の幸福感のささやかな素材の一片でなかったか。
それはそれがなくなったための不幸感として感ずるにはあまりにささやかであるにしても、或る空虚であるには相違ない。生活充実感はかかるささやかなものの集積である時、最も充実したものとなる筈であると感ぜられる。電気洗濯機、電気ミシン、電気掃除器―――大方の機械設備がもたらす便利と言うことは、常にそれに正比例して心理面の幸福を伴うとは限らない一例でもあろうか。