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2016年5月18日

「変わった本たちとの出会い」(4)微生物の狩人 竹下英一

ところで、私の本棚には来歴のよくわからない小さな本が一冊あります。昭和17年第一書房刊行の「微生物を追う人々」(ポール・ド・クライフ著、秋元寿恵夫訳)という題名で、小口にはかすかに戦災に炙られた焦げ跡がついています。背傷みでばらばらになりかけたので、クロス装丁し直してもらいました。著者 Paul de Kruif (1890-1971) は名門ミシガン大学医学部で微生物学及び病理学を勉強した医師、第一次大戦下フランスで衛生兵として従軍後、出身大学の助教授を経てフルタイムの作家になった人で、弱冠30代の1926年に本書 ”Microbe Hunters” を出版しました。訳者秋元氏は東大医学部緒方富雄教授の弟子で血清学、病理学を研究した医学者です。

 この本は題名通り、微生物とそれが感染症の原因となることの発見から、感染症を治療する合成医薬品の発明に至る科学的な歴史を、主要な研究者たちの人間史を軸にして描くことによって、専門外の読者にも理解しやすくする工夫をしています。出版当時これは斬新な試みで、たちまちベストセラーとなっただけでなく、各国語に翻訳され、現在に至るまで医学、生物学を志す学生に広く推薦される稀有な解説書となりました。

 さてこの本を買ったのが祖父、伯父、父の誰であったかがはっきりしません。内容は医師である父の分野ですが、当時40才に近く診療の実務に関するもの以外の本はほとんど持っていなかったようなので、父が買ったのではなさそうです。一方母の弟は20才前後、旧制の高等学校乃至大学生であったので可能性はありますが、彼は電気分野に進むことが決まっており、戦後残っていた本もその方向に沿ったものばかりでした。結局、証拠はありませんが、私たちの家族と同居することとなった50台の祖父が或は私の父母と相談し、戦争が激しくなる前に、一家の娯楽と教養のための文学書などと共に、当時評判になっていたこの本を購入したのではないかというのが私の推理です。

 ここには17世紀後半から20世紀初めに至る感染症の研究史が、高倍率の単レンズ式自作顕微鏡を用いて微生物を初めて発見したレーウェンフック、科学的な方法で微生物の発生、培養の研究に初めて着手したスパランツァーニから、黄熱病を蚊が媒介することを証明して防疫に成功したウォルター・リード、ヒ素化合物を含む無数の新物質を合成しその中から梅毒の特効薬を発見したパウル・エールリヒまで、12人の研究者の人物と業績に焦点をあてて詳しく語られています。登場人物は、彼らの協力者など優に百人を超え、嬉しいことに、北里柴三郎、志賀潔ら数名の日本人研究者も登場しています。

 クライフの語り口はとても情熱的で、歴史に名を遺した研究者たちの、時に奇矯ではあるが温かい人間味を生き生きと表現しています。これまで何度も繰り返して読んでいますが、私が特に思い出すのは、後に病原体決定の有名な3原則を確立したロ-ベルト・コッホが、1870年プロイセンの貧寒な村の開業医として人生をスタートした頃に妻に向かってぐちった次の正直な言葉です。

 「私は万事まやかしで済ましている医者稼業を憎む。なにも私がジフテリアの赤ん坊を助けたくないという訳でもないのに、おっかさんたちはわあわあ言ってくるのだ。どうか子供を助けて下さいとせがまれる。だが、私はどうすればいいのだ?いたずらに思い惑い、手探りするばかりで――望みの糸が絶たれたのが分かっていても、大丈夫、大丈夫と言って聞かせてやる。原因さえろくに分かっていない私に、なんでジフテリアが治せるものかね?ドイツ中の名医だって知っちゃいないというのにさ?…」。

 コッホ夫人は夫が、既にパスツールが先鞭をつけた時代の流れの中で、微生物と感染症の関係を明らかにする研究を志しているのを知り、当時の最新型の顕微鏡を誕生日のプレゼントとして贈ったのでした。このことが図らずも彼の輝かしい経歴をスタートさせました。この本は戦後岩波文庫に版権が移り「微生物の狩人」と改題されて、秋元訳のまま上下2巻となって出版されています。興味をお持ちの方は是非ご覧になってください。(つづく)

平成28年5月 竹下英一



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