2016年5月20日
よしなしごと(4) 斎藤玉男
この小節の初に思い返し思い返しと書いたが、不思議ににほひに限っては視覚や聴覚の印象と違って、追憶の中で鮮やかさが褪せないばかりか、却って時と共に印象が濃くなりまさるのは恐らく筆者だけの体験ではないであろう。これは嗅覚が視覚や聴覚よりも深所奥所においてお互いの存在感覚に連なるケ条があるからではあるまいか。
脱ぎ捨てた御衣(オンゾ)の空薫物(ソラタキモノ)を採り上げることによって、「源氏」の肉付けを数段手厚いものにした紫式部は、この聞の機微を捉える限りにおいて嗅覚型の深みに徹しており、「山の端ほのぼの」の視覚型才筆である清少納言との距離を格段に引離して居ることが窺われる。
交化と嗅覚、これは改めて検討されるに値するテーマである。