2016年5月25日
akira's view 入山映ブログ 国会開会
菅首相の演説は例によってスローガンだけで、現実政策の裏付け、あるいは政策構想の不在が余りにも明らかで、聞いている方が白ける、という感じだった。それでも前任者のようにおまじないめいた言葉を叫べば、それがそのまま現実化するという妙な思い込みがない分だけ害は少ないのかもはしれないが。
それにも増して醜態だったのは公明党に対するなりふり構わぬ媚諂いの態度だ。みんなの党に対する挑戦的ともいうべき答弁姿勢と比較すると、一層その好対照さが目立とうというもの。にべもない政権批判に終始した公明党の態度の前には、そぞろ哀れを催す風情さえないではない。もっとも、公明党が創価学会信者の広汎な支持を受けていることはよく知られている。仮に宗教組織というのが指導者の指示に忠実であることを特質とするのであれば、労働組合の支持を重要な要素としている民主党には、組織決定に忠実である、という一点において公明党とは体質的には共感しやすいところがあるのかもしれない。議論の過程は問わない。結論が重要、という訳だ。まさか、ね。
政治指導者に対する信頼感の欠如とか、政治一般に対する幻滅感の一般化というのは、デマゴーグとかファナティシズムの跋扈を許す、という所論を一時よく耳にした。ネットだ、ITだというのがかくも一般化する遥か以前の言説だから余り現代に通用するとも思わないが、エンターテインメントの世界で、限られた数の作品だけが図抜けた売り上げを記録する、という傾向を目の当たりにすると、そんな不吉な予言が真実味を帯びないでもない。もっとも、こちらのほうは国家社会主義だ、ショービニズムだなどというおどろおどろしいものではなく、ごく口当たりの良い八方美人の言説の可能性が高いが。
それならば何も将来に俟つまでもなく、既に我々の周りにあるではないか、という話はある。国債の格付けが下がろうが、そんなことにはとんと疎くて、やれこども手当だ、高速道路無料化だとばらまきまくり、過去半世紀に亘って積み上げて来た借金の上積みで、表現は悪いが首つりの足を引っ張る所業はそれ以外の何者でもないではないか、という訳だ。ならば行き着くところまで行っている。後はお定まりの夜逃げになるが、さて、逃げるに逃げられない衆生はどうしよう。恐ろしいことに自由主義経済ではないが、民主主義というのも自己責任だ。誰のせいにも出来ない。とすれば、せめて現在ただいま何が出来るというのだろう。解散総選挙でないことだけははっきりしている。
2011年 01月 28日