2016年5月26日
akira's view 入山映ブログ ダボス会議
菅首相の公明党擦り寄り作戦は、その後も表立ってはほとんど成功していないようにみえる。考えてみれば、公明党という政党を初めて政権党というフェアウェイに出したのは、忘れもしない小沢一郎氏だった(善かれ悪しかれ、離合集散の激しい彼の政治業績の中で、これは歴史に残るほとんど唯一のものだろう)というから、脱小沢をスローガンにする菅首相には、皮肉というべき事態の推移かもしれない。
さて、首相は国会会期中にいそいそとダボス会議に出かけた。先日の小池百合子氏の質疑によれば、「それをつかまえていじいじいびったりはしないから、どうぞ心置きなく行ってらっしゃい」ということのようだから、与野党挙げて納得の上のご出席ということになる。このダボス会議なるもの、別に国連などの公的機関の主催するものでも何でもない、一民間非営利団体の主催する会議だ。ノーベル賞と同じように、全く政府やお役所と関係のない民間組織が企画実行している。日本では、ろくでもない法制度の下で窒息しかかって、天下り引き受け団体や、「沈香もたかず屁もひらない」組織に成り果てている公益法人と違い、かくも世界的に認知されている組織だというのはどうしたことだろう。というより、外国製の(舶来の!)それにだけはこんなに弱いというのはなぜだろう。
そもそもダボス会議というのは、1971年に当時ほとんど無名のジュネーブ大学教授のクラウス・シュワブが、当時の欧州連合の資金援助を得て始めた「ユーロピアン・マネジメント・セミナー」が始まりだ。このテの会議というのはそれこそ無数に存在し、お忘れないように付言すれば日本の組織って、かなり質の良い会議を年に何回かは開いている。それがどうしてこの会議だけがここまで有名になり、多くの人々が、「大立て者」と共に招待リストに入ることをよだれを流して待ち望み、はては日本国首相が国会会期中にわざわざ出かけるほどの会議になったか、というと、これはひとえにシュワブ氏の経営才覚による、というべきだろう。なぜ舶来モノにだけ弱いのか、という点がお留守になった。いづれまた。
ささやかな欧州経済会議(当初の議題は、ヨーロッパ経済はどうしたらアメリカ並みになれるか、というものだった!)の周辺で、ベルリンの壁が崩壊する。アラブ・イスラエルの対立が表面化する。こうした動向をいち早く会議アジェンダや出席者に反映させるのみならず、極めて巧妙なスポンサー獲得術。さらには、社会開発といったそれまでの非・経営的観念を真っ先に取り上げる時代感覚の鋭さ、といったものがあいまった結果だというべきだろう。
ちなみに演説のなか菅首相が意気込んだ「開国」は、単に「さらなる市場開放」と受け止められ、われわれのイメージにある黒船や進駐軍以来の「第三の」開国という含意はほとんど伝わっていなかったようだ。まあ、国内語と国際語の区別の出来ないまるドメの日本政治ではそれもやむを得ないか。
2011年 01月 30日