2016年5月27日
たそがれ 板倉靹音
俺はどこかの水辺に坐って
じっと浮子を見つめているようだった
――人は死ぬとき、走馬燈のように
過去をおもい浮べるというが
本当なのだろうか
向うの堤を玩具の電車がとおる
――パパ、お弁当」
――ありがとう
でも、パパはもう
何も食べなくてもよくなったのだよ」
どこかでかすかに
俺を呼んでいるようであったが
それも今は聞こえなくなった
――この淋しさは何であろうか
あたり一面、水色に暮れて
いまはもう何も見えなくなった