2016年5月31日
こわい新聞(2) 城山三郎
何ヵ月つづいたであろうか。ともかく、この間の女房の健闘ぶりは、ちょっと涙ぐましいくらいであった。一方、執拗な勧誘員とやり合うとともに、他方で、伝染病の流行その他、家庭運営上最低限必要なニュースを近所から小耳にはさんで来なくてはならない。ぼくはがんとして、ラジオをかけることさえ許さなかったのだから。
それほどぼくはニュースに襲いかかられることをおそれていた。沖合いから白く歯噛み出して押し寄せる波頭のように、ショッキングなニュースの列が、ぼくの精神の王国をゆさぶりつづけそうな不安、その不安から解放され、創作する自分のために静かな世界を残しておかねばならぬと……。
だが、この努力には思いがけぬ終局が訪れた。隣家に新聞販売店が引っ越してきたのだ。壁ひとつ向うで、毎朝五時ごろから新聞の仕分けがはじまる。印刷インクがにおってくる。隣近所つき合いということもあって、とうとうその新聞の軍門に降った。皮肉なめぐり合わせを思うと、いまだに苦笑がにじみ出てくる。