2016年6月1日
こわい新聞(3) 城山三郎
いまだにぼくのニュース恐怖症は治らない。新聞敬遠の気持ちも強い。社会派といわれる作風から、ぼくは幾種類もの新聞をハゲタカのような眼をしながら、隅から隅まで読んでいるように思っている向きもあるらしいが、事実はまるで逆。おっかなびっくりで、二日分か三日分貯めておいて読むことも多い。
その意味ではいちばんたのしめるものは、地方紙を読むときだ。連載小説を書いている関係で、いまぼくのところへは数種類の地方紙が送られてくる。その新聞を開いたときには、記事中のニュースはある程度料理され、片づけられている。ニュース自体が屍体となっていて、ぼくに襲いか玉る元気がない。それに、各地方のできごとは直接ぼくの世界をかきみださない。ぼくは責任を解除され、気楽に好奇心だけで読むことができる。ニュースの中を自由自在に歩き廻り、気まゝに事件から事件へと飛び移れる。