2016年6月3日
akira's view 入山映ブログ グランクラス
東北新幹線が全線開通するとグランクラスなるものが登場するらしい。その昔「国鉄」時代には、一等車、二等車、三等車(後に一等車がなくなったと記憶するが定かではない)だったものが、たしか昭和44年(1969年)に怪しげなグリーン車という名称が導入された。まあ、その流れを汲むものだろうと思われる。ことの始まりは一等・二等というのは差別だということのなのかどうか、いまとなってはさだかではない。もちろん英語圏では依然一等車・二等車だから、グリーン・カーなどといってもイギリス人に通用する訳ではない。
なんだか意味不明のカタカナの愛称が導入されたのは鉄道に限らず、公共職業安定所、通称「職安」(東京は新宿に昔「職案通り」なんていうのがあったが、いまはなくなっているのだろうか)がハローワークなんていう、これまた意味不明の英語もどきになったのは1990年のことだったらしい。お役人の日本語感覚とには定評があり、昔ながらの町名表記を、合併だからといって両方の名前の一字づつをとって合成したり(まあ、これには地元がどちらかの名前だけを残すことに猛烈に反対する、という理由もあったようだが)、東なんとかとか北なんとか、はては中央なんていう味も素っ気もない名前にして平然としているのは周知の通りだから、そんなに驚くほどのことでもないかもしれない。そもそも町名はともかく番地なんていうのは、あれは郵便配達の皆さんのためにだけ存在しているようなもので、およそ場所不案内のひとに所在を表示する機能はゼロだ。西洋の番地表示とは好対照だ、がこれはまた別論。どちらも直す気もなければその必要についても鈍感、という一点で共通性がある。
ベースボールを野球と名付けたのは正岡子規だというが、明治の先人はことほど左様に西洋文化の日本化につとめた。もちろん行き過ぎやいわれのない外国語敵視に繋がったこともなきにしもあらずではあるが、まあ、その心意気は慶されてモよいだろう。先の大戦中に外国語は敵性言語として使用を禁止し、野球のストライクまで「よし」とやった、なんていうのに比べて、アメリカでは早速日本語コースが出来、その卒業生が戦後の知日派を形成した、というのとは大違いだが、これも別論。妙に国粋主義を気取る訳ではないが、安易な、それも怪しげなガイコクゴの氾濫には、これをしも新たなブンカというものか、といささか目を閉じたくなる。NHKのBSのアニメ・キャラクター(これも英語だけれど)もひどいが、使わずもがなの英語もいかがなものか。公的機関くらいはきれいな日本語の維持に貢献しようと思わないものか。交番をKOBANと表記した警察はご立派だった。
2011年 02月 10日