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2016年6月9日

コトバ、とりわけ詩のコトバについての管見(1) 斎藤玉男

 コトバの原始態が叫びであり、感嘆詞であることは間違いないとして、コトバが発生早々間もなく意味の担い手になったその時から、それは人類にとってワズライの一つとなったことも、疑う余地のない事がらであると思える。も少し拡延して言うならば、それが意味を担い初めた瞬間から、人類は「実存」にゆき当るべき運命を負わされたと言うことも出来るように思う。
 今日(二つの世界と言われる世界の中に居て)「世界一考深い人は沈黙する人である」とするのは、表現が粗雑に過ぎるとしても、コトバを尊重するが故に「沈黙する人の中にこそ、世界一考深い人が求めらるべきである」と言うことは言えそうである。
 意味はコトバより先に原始人類にも感ぜられた(=感ぜられたとでも言うより外にうまい言いようがなく、また一つには感ぜられたと言う言い方に特別にうま味があると思うが=)と思われるが、意味がコトバに担われることになってから意味の堕落が始まったことは確かなようである。もちろん、コトバによって意味の分化と具象性が一頓に高まったことは争えないけれど。



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