2016年6月10日
コトバ、とりわけ詩のコトバについての管見(2) 斎藤玉男
意味の堕落(おかしな言い方だが、それはその中に始めから意味の向上化と清純化を予定した上での堕落でもある。言わば「ハジメニコトバアリキ」のコトバでもある)は、手近いところコトバの多義性の発生工合を見るとよく判る。
多義性の発生は、一つにはコトバの数がその発生の初めには意味の数より少なかった事情による。それで一つの意味が二つ以上のコトバに乗り掛って行われた。これには二つ以上のコトバがそれぞれ一つの意味の一部分を担って居り、二つ又は二つ以上のコトバが連結したときに初めて一つの完結した意味になる場合が考えられる。これをコトバの分有 Participationと名づけてもよいであろう。次には二つのコトバが大略同じ意味を担っては居るが、精しく言うと意味の強さや色合や粘ッコさに幾分の相違があると言った場合で、軽い異義性の萌芽がそこに認められる。これをコトバの異義性の推移Transitionと呼んでもよいであろう。
それで初めから言えることとしては、コトバは異義性によって成立ち、出発第一歩から多義性と言う病を負って居るというヶ条である。そして一旦成立ってからは異義性を追って多様となり、多義性を自己制約としてたえず整理され、また以上二つの性格にたえず拍車をかけられるので、新作もされ、廃棄もされ、転義もされ、融合もされて未来永劫成長し洗練され続けると言うことになる。