2016年6月14日
akira's view 入山映ブログ シチリア紀行(2)
シチリアのオペラを離れてその風土ということになると、最初はまず何よりも異和感に悩まされたことを述べておいた方が良いだろう。異和感というのは、イタリアの中でも極貧といわれるシチリア人。今回の旅行に備えてにわか勉強でヴィットリーニやヴァルガを読んだのだが、フーキディンディア(仙人掌の実である。滞在中に食べてみたが、甘い瓜のような味で、とても種っぽい。)を一日に一回食べるのが食事だ、とか、シチリア人しかつかない「あの」職業とか、難民として故郷を棄てるしかない貧しいシチリア人、という固定観念と、ヨーロッパに向けて地中海の入り口に位置し、古代、そして中世以来様々の文化が渡来する窓口として絢爛とした文明の花咲いた地、というイメージがどうしても折り合いがつきにくいのだ。
豊かな火山灰地でヨーロッパの穀倉といわれた土地の農民が、様々な搾取と過酷な統治によって極貧に喘ぐ、というのは想像に難くない。事実、余りの酷政に耐えかねた農奴、あるいは奴隷の反乱の歴史はシチリア各地に伝えられている。その意味では、古代においてはポエニ戦役を始めとするギリシャ諸都市間の抗争に巻き込まれ、中世以降は教会勢力と世俗勢力、さらにはイスラム勢力の争いの舞台になったこの地は、一説によると8割以上の年貢を徴収されていたというから、異和感を抱くこと自体がいわれのないことなのかもしれない。
ギリシャ・ローマの遺跡はアテネやローマの現地以上に保存状態の良いものが多数残されている。島の特性からその遺跡のどこからでもイオニア海の青い海が展望できる。円形劇場やアクロポリスの一角に腰掛けて往時を偲ぶ、なんていうのはなかなかの経験だった。ただ、拡声装置のない時代にあの大きな劇場の隅々まで一体どうやって肉声が届いたのだろうという疑問も湧く。これについては永竹先生はこともなげに、口を縦に開いて発声のトレーニングをすればかなりの距離まで声は届きます。それが優性の遺伝で三代も続けば途方もない声になる可能性は大きいですね。だってシーザーだって、あのアントニウスの追悼演説だって、何百、何千の兵士や群衆を相手に肉声一筋で立ち向かったのですよ。とおっしゃる。なるほどね、ということなのかなあ。
シチリアの食べ物は圧倒的に魚だ。朝食に出るハム・ソーセージの類いを除けば、この旅行中野菜と肉はほとんど口にしなかった。カターニャの味付けは塩辛くて参ったが、それ以外は誠に結構。流石に魚の食べ方を知っているなという感あり。パレルモで食べたマグロをさっと炙ってオリーブ油をまぶしたのは絶品だったな。もっともあれほどのマグロなら寿司種で握った方がいいかも。
2011年 03月 09日