2016年6月17日
コトバ、とりわけ詩のコトバについての管見(7) 斎藤玉男
顧れば(今や回顧の分岐点に立ったお互いでもあるので、機会毎に顧みさせられる外はないのであるが)コトバは人類が創(ハジ)めた最先のオートメーション機制であったが、現在お互いはこのオートメーションの不完全さに愛想をつかし初めて居る。現に人類はこの機制のおかげで危うく思想する自由をさえ奪われかけて居るではないか。ただ詩のコトバの領域ではオートメーション化が賢明にも始めの始めから拒み続けられて来た。詩にはマス・コミュニケーションが厳義では利かないのである。この点比類なく頼母しく尊い。
エヴェレスト登山に成功した後にヒラリーが「なぜあんなあぶない所へ登ったか」と聞かれた時、彼の答は
山がそこにあるからさ
であった。詩の途はいつの時代でも嶮しい。しかし詩のコトバはいつも活きてそこにある。いつでも手の届くそこにである。詩のコトバに慿かれた人々に敬意を送る。