2016年7月5日
こんなはずではなかったが…(1) 津村秀夫
私は一昨年と去年とつづいて友を失った。一昨年秋十一月には写真家名取洋之助君を、去年の暮れには小津安二郎氏を。ともにガンであった。
名取洋之助は「岩波写真文庫」を計画し、実施して、戦後の出版界に独創的で、安価な写真ブックをひろめた。それで知られているが、元来が日本写真界の先達の一人である。報道写真というものの価値を知らせ、多くの後輩を指導した。
だが自分で撮影することをやめて十年。いや十五年近くになろうが、その名取君がふしぎと、おのが死期を知るかのように晩年は大奮闘した。中国に旅して、麦積山の岩窟の無数の貴重な石仏を撮りまくって写真集を出した。
私はこれに驚いた。と思う間もなく、ある出版会社からたのまれ、ヨーロッパ古典美術の色彩写真を撮る仕事で、一九五九年、六〇年と精力的に旅を続けた。六一年にも行ったらしい。その時ロマネスク美術(十一世紀から十二世紀)の魅力にとりつかれた。六二年には自費出版かと思われるほどぜいたくな写真集「ロマネスク」を出した。