2016年7月6日
akira's view 入山映ブログ 将の器
有能な小隊長が必ずしも大隊長、あるいは連隊長として有能であるとは限らないと聞いた。自ずから器というものがある、ということのようだ。三度目の災害現地視察に訪れて、喜々として「頑張ろう」と拳を突き上げている首相の姿を拝見して、失礼ながらそんな思いに捕われた。日本という国では、自衛隊でさえ適任でない将校の下にあっても命に関わる、ということはないようだが、現実の戦闘行為にあってはこれが即、生死をかけた大問題になる、しかも部下たるもの、将校であるか下士官・兵であるかを問わず、上官の任命には与れないというのだから、これは運命と諦める他はない。
それに比べれば民主主義下の首相、というのは多少間接的にではあるが、その選出について自分も一半の責任がないではない。それだけによけいやりきれない、と言えなくもないかもしれないが、そんな感想を持とうが持つまいが危機的状況の方は待ってはくれない。15万人の人々がプライバシーのない生活を余儀なくされて1ヶ月になる。必要な仮設住宅が仮に数万戸であるとして、それがいつ頃なら可能なのか。それが早急には無理ならば、その間はどうするのか。提供された旅館・公営住宅の存在さえ周知されていないというのはどうしてか。就労場所から離れた居住地の場合、収入稼得はどうするのか。こうした喫緊とも言うべき課題に対して、何らかの方向性さえ示されたという話を聞かない。
とはいえ、戦が始まっているのに、あれは連隊長の器ではない、せいぜい小隊長どまりだなどとあげつらっている時ではなかろう。放射能漏れは何が何でも食い止めねばならないし、第一次産業にとっての被害は、二次・三次産業の雇用機会にも増して対策を急ぐ。9.11に際してあれほど犬猿の仲だった共和・民主両党が手を携えたのを想起する。今回の連邦予算凍結寸前の回避とは速度感がまるで違った。米国に出来たことが日本で出来ない訳がないだろう。こちらの方はロボットと違って、予算が削られたからテの施しようがない、というのとは違う。
何も官のなさりようを待っているだけでもあるまい。数千億と言われる義捐金も、小出しにバラまくだけが出捐者の意向に沿うとも限らないではないか。
2011年 04月 11日