2016年7月12日
光秀城記(1) 棟方志功
山川京子氏は、歌誌「桃」の主宰者で、そして大本御三代様のとても親しい間柄の方です。わたくしは前々から、御二代様の絵と、書を見たいので、都合の時連れて行つてくださいと願ひをかけてゐたのでした。丁度、東京から大阪までの聞を六十一景にまとめて板画にする仕事がありまして、その素描を成す旅中と、山川女史の亀岡行きと一緒になつたのでした。
亀岡に行きませんかと言ふ事を誘はれました。わたくしは、大本二代の祖女と謂はれてゐます出ロすみ子様の、仮名書きの文字や、その絵を好んでゐましたので、その絵屏風や、書掛物を拝見いたしたいと思ふてゐましたので、連れて行つて頂く事にいたしました。
その日は、よく晴れた冷めたい朝でした。六時頃、電話が、宿舎にしてゐた、枚方集団地のきよう子のところに「今、京都に着きましたが、御三代様は、丁度前約の仕事で出掛けますが、御留守でも、よければ」といふので、かへつて居らつしやらない方が肩身が、軽くて見るものが楽にみられると思ひまして「はい結構です」と返事いたして床を起きました。