2016年7月15日
akira's view 入山映ブログ 独立行政法人
連休中にけりがつく筈だった野暮用に思わず時間を取られて、ブログのお休みも永きに亘ってしまった。とはいえこの野暮用にも収穫がなかった訳ではなく、その一つが独立行政法人のありようをたっぷり見聞することが出来た、ということだった。で、それについて書いてみたいのだが、固有名詞を挙げるといろいろ差し障りもこれあり。一般論として見聞録をしたためることにする。となると今度は、一斑を見て何とやらの誹りを受けかねない。そこはブログの気安さで余り固いことは言わない、というノリでゆくことにしよう。
独立行政法人という制度発足の経緯はご承知の通り。タテマエはともかく、心はお役所組織から分離独立することによって、より自由度高く、かつ能率的に仕事ができるだろう、もっとはっきり言えばコスト削減、赤字削減がやりやすくもなろうし、何より赤字垂れ流しの責任を「経営主体」という名の下に、誰かさんから誰かさんに転嫁できる、という目論みもないではなかった。監督権という都合の良い時だけ口出し自由の宝刀、さらには天下り先としてのうまい汁がそのままだったのは、先の事業仕分けで明らかにされた通りだ。とはいえ、やりようによっては確かに効率的に仕事を進めることもできよう、という仕組みであることは確かだから、何もそんなにシニカルに捉えるだけが能ではないのも事実ではあった。
仕組みが出来さえすれば、期待された成果は自ずからついてくる、という典型的なお役人の発想がどっこいそうはゆかないのは当然といえば当然だ。仕組みを運用するヒトのほうが仕組みに伴って変わる、という保証はない。というよりも、仕事のやり方、運び方を変革したくてじりじりしていたのが、仕組みが変わって堰を切ったように改革案が目白押し、というのならともかく、昨日は良かったから今日も昨日の通り。今日も無事平穏だったから明日も今日の通り、というエトスにどっぷり浸かったままの経営者と、仕事をしないことが労働運動の目的になり果てている官公労の申し子の労働組合が向き合っていれば、結果がどうなるかは三歳の童子といえども、みたいな話だ。
それでも帳尻を合わせなくてはならない、とすればどこで合わせるかはこれまた想像に難くない。サービスのレベルダウンという形で利用者がツケを払うことになる。もちろん競争相手がいればそんなことにはならないのだが、ほとんどの場合、独占とは言わないまでも無競争に近いのが実態であってみれば、何が起こるかは最近の電力会社を見れば一目瞭然だろう。とまあ、電力会社については書き出したらキリがなさそうだから止めにしておくとして、見聞録よりは一般論で終わってしまいそうだ。この稿続く、ということにしておこう。
2011年 05月 15日