2016年7月19日
akira's view 入山映ブログ 近事往来
しばらく社会と隔絶した環境に身を置いていた所為もあって、政治はおろか経済動向についても観察する習慣がなくなっていた。言ってみれば一ヶ月足らずのにわか浦島である。かくてはならじとこの間に起こったとおぼしきことを振り返ってみれば、のんきに独立行政法人のアラ探しをしているどころの話ではなさそうだ。この一ヶ月というもの、この国のありようの全ては、震災への対応を中心に展開していたようだ。
一つは福島の原発を巡る問題。二つには被災地の復興、特に第一次産業の今後の見通しについて。第三には、それらへの菅政権の対応。大ざっぱに整理するとこの三点に集約されると言って良いだろう。これらの論点については、既に多くの論客が、ピントのずれた議論を含めて、まさに汗牛充棟の趣きだから、あえて大所高所の議論を付け加える迄もあるまい。むしろ、これまでの大方の議論を聞いていていぶかしく思った点について書いてみたい。
福島原発については、水がどうなったか、メルトダウンだった、もさることながら、放射能汚染の原因と程度が未だに明らかにされていない。これは驚くべきことだというほかはないのだが、解らない、というのが真相ならば、推定最悪シナリオと最善のそれくらいは明らかにされて良いのではないか。小出しに「悪い」ニュースが暴露されるのを見ていると、情報隠蔽が意図的にされているのではないか、という疑いを持たれても仕方がないように思う。本来こうした疑問を読者に先駆けて提起し解明するのがジャーナリズムの使命の筈なのだが、残念ながらその機能は全く発揮されていない。あいも変わらず、「・・・が望まれる」「・・・なのはどうしたことだろう」の一辺倒。評論ではなく事実の報道によって、読者により正確な判断の材料を提示する、という機能を忘れたのでは、いづれ読者に見捨てられて滅び行く他はない。
さらに、東電の対応については、経営陣のほとんどモラルハザードとも言うべき責任感の欠如については既に指摘されているので多言はしない。が、今後の経営体制について、相当の識者の間にも、東電を清算事業団と(株)東電に二分。負債ゼロで身軽な純民間会社を設立。その全株式をJALやGMのように、企業再生資本機構が引き受け、政府保証付きで、政策投資銀行が出資。民営東電が立ち直り、上場可能の見通しになったら、機構/投資銀行は所有株を放出。国民への税負担はゼロ。民営東電は清算事業団に税引き前利益を返済。といったスキームが議論されているのは寒心に堪えない。パッチワークの「再生」ではなく、これを契機に電力の地域独占体制を見直す絶好の機会だからだ。その意味では送電設備を売却対象として発・送電を分離するアイディアを菅政権が提起したと伝えられるのは誠に心強い。ぜひ蛮勇をふるって実行してほしいものだ。
第二・第三の点については稿を改めることにする。ぜひ読んでください。
2011年 05月 19日