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2016年7月20日

エヴェレスト 中河与一

 「ヒマラヤならばエヴェレストを、アルプスならばユングフラウを。海ならばさしづめ印度洋の真ん中を」
 と書いたのは、私が偶然論に熱中してゐた頃のことである。もう三十年も前のことであるが、余ほど熱心にそんなことを考へてゐたものとみえる。と云つても、実際そんなところへ行けるとは考へてもゐなかつただらうし、それ以上に生活にあれ、文学にあれ、そんな高い世界へ行けたらと願つてゐたのかと思ふ。
 昨今はやつと北アルプスやその他の山々程度を歩いて自然の中に自分の孤独を慰めてゐるが、もうそんな空想は、文学の上でも生活の上でもまた実際の上でも考へなくなつた。自分の才能にも体力にも限界が来てゐると考へてゐるからでもあらうか。
 ところが二月二日、ノルゲー・テンシンといふ実際そのエヴェレストの頂上を極めた人が日本にやつて来た。それは五、六年前から来る来るといひながら実現せずにゐたことであつた。私は彼についていろいろな記録を読んでゐただけに彼の来たことをこの上なく喜んだ。
 二月四日の夜、日本山岳会の主催でその歓迎会が鳥井坂の国際文化会館で開かれた。行つてみると黒い服を着て、背の高さも顔つきも日本人そつくりの痩せぎすなテンシン氏が、日本山岳会の旗の下に立つてゐた。彼は美しい眼と立派な歯をもつてゐた。
 その近くに槙有恒とか旦局信六郎とか松方三郎といふやうな人々が立つてゐた。女の登山家達も十数人まじつてゐてなごやかな会合であつた。島田巽、深田久弥などの人々も見えてゐた。
 松方さんが紹介の辞をのべた。お互ひに握手しあつたり、写真をとつたりといふ有様であつた。
 エヴェレストの登頂は三十二年前から世界の登山家達によつて幾度か試みられ、そのたびに失敗し、無数と云つていいほど犠牲をだしたところである。
 一八九五年には名登山家マンメリーが二人のイギリス人と共にナンガパルバットで最初の犠牲となつたが、「山があるから登るんだ」と云つた有名な登山家マロリーや、その同行者のアーヴィンが、一九二四年のエヴェレスト登頂に於て消息を絶つた。
 エヴェレストと云へば世界最高の山で、南極や北極と共に最も天に近い高度の極である。
その頂上を最初に極めたのが、ハント大佐の率いるイギリス登山隊のヒラリーとテンシンの二人で、それは一九五三年.五月二十九日、午前十一時三十分のことであつた。
 私はこの世界的英雄と握手しながら、昨夏訪問した印度の印象を話し、彼の遠来に対して心からの感謝を述べた。
 彼等がジェット機でネパールのカトマンズに着いたのは一九五三年の三月三日で、それから熱い砂の平原を歩き、峠を越え、僧院を訪ね、暴風雨に襲はれたり、川を渡つたりしてナムチェに着いたのが三月二十五日。そこで六十八人のシェルパを雇つていよいよ登高にかかつた。
 四月十四日チャンボチェにベース・キャンプを作り、四月二十七日クーム盆地に着き、五月二十五日第八キャンプをサウス・コルに作つた。二十六日第九キャンプ。その翌々日遂ひに八千八百四十メートルの頂上に二人の男が到達した。
 その困難と忍苦は長く言語に絶するもので、アイス・フオルを乗り切り、雪崩と戦ひ、組立梯子でクレパスを渡り、氷壁に足場を切り、息も絶え絶えに彼等は地球の絶点に立つたのである。
 ノルゲー・テンシンはその時年齢二十九才、セルパ長として参加したのであり、ヒラリーは二十四才、二人は頂上で抱きあつて喜んだ。
 テンシンはその後欧州各国に招かれてゆき、アルプスの名山ユングフラウにも登つた。
 彼はまさに現代の英雄である。然し彼等の忍耐と周到さには想像以上の綿密さと堅固さがあつた。
 歓迎会の席上、彼は絶えず微笑してゐたが、遠慮深く遂ひに一言の挨拶もしなかつた。彼の日本滞在は九日間であつたが、彼はその間をたのしく過したらしかつた。今彼はダージリンの登山学校の教頭をしてゐるといふ。
 二月十三日、彼は羽田から故国に向つてたつた。
 私は日本山岳会の人々と一緒に彼を空港に見送つた。この東洋人は風呂敷包みに一杯土産ものを入れ、瓢々としてジェルの入口に姿を消した。
 私は彼の額にあつた皺を思ひ、彼のなしとげた偉業を思ひ、自分が若い日に書いた文章を思ひだしながら、自分の怠惰を反省してゐた。
 日本も一九六六年を目標に今エヴェレストへの登頂を計画してゐるらしい。



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