2016年8月2日
akira's view 入山映ブログ 城南信用金庫
城南信用金庫の吉原毅理事長については、かねて経営者の年俸に上限をひくとか、サラ金まがいの個人カードローンには手を出さないとか、その見識には敬意を払っていた。別にうらやましくて言っている訳ではないが、ソニーの経営者が8億円の年収を得るとか、あるいは都市銀行が破廉恥とも言うべき高利の個人金融を臆面もなく売りまくっているのに較べると、健全な資本主義精神の原点の様なものを感じたからだ。原発に関する氏の態度表明を扱ったインタビュー記事(6.29朝日朝刊15面)を読んで、その感を一層深くした。
万事横並び。財務省の鼻息をうかがう姿勢に終始する銀行経営者の中にあって、異色の存在であることに疑いはない。ただ、この世界で出る釘は打たれるのを常とする。それも時としては極めて陰湿な方法によって。かつて永代信用組合というユニークな信用組合が存在した。経営者の山屋氏は、オーナー経営者として、一方で銀座のバービルへの融資で荒稼ぎをする一方、1990年当時、市民バンク立ち上げに関わったり、母子家庭への起業支援を熱心に行うなど、今でこそ珍しくない社会的起業とか、CSRの先駆的経営者として知る人ぞ知る存在であった。おそらくは金融当局のご指導に逆らったことも多かったのだろう、いうことを聞かない目障りな存在として、バブル破綻に際して、真っ先に強制解散をさせられた。(もちろんご当局の意に染まない存在だったからつぶされたという証拠は何もない。)
城南信用金庫経営者の言動が、旧態依然たる金融行政や都市銀行の経営姿勢にとって耳ざわり、目障りな存在であろうことは容易に想像できる。時代も変わっているからまさかとは思うが、吉原氏にとって妙な災いが起こらないことを祈る。生殺与奪思いのままとも言うべき許認可権限を持つ官僚組織は、気に入らない動きをする存在に対しては、不作為による対応をもって王道とする。つまり、敢えて何もしないことによって革新や現状変更への動きを死滅させるのだ。兵糧攻めとも言うべきこのいじめを生き抜いたら、次には繁文縟礼、揚げ足取りによるしごき(nitpicking)が待っている。大概元気のよい挑戦者も、このあたりでうんざりして妥協点を求めるのが通例だ。それでもめげないと何が起こるかはご想像の通り。こうした構造的現状維持システムを打破するのが本来の「脱官僚」だった筈だ。
菅さんの二枚腰、三枚腰に驚いている人は多いが、官僚機構のそれはそれどころではない。いつの間にか外郭団体が焼け太ったり、天下りが増えたりしているのは、だから当然といえば当然だ。事業仕分けや蓮舫さんのパフォーマンスなど、はなから問題にしていない。思えば途は遠いというべきだろう。それを忘れて首相の首のすげ替えに熱をあげているのでは、誰が高笑いをしているか、これまたご想像の通りだ。
2011年 06月 29日