2016年8月16日
akira's view 入山映ブログ 円高(2)
債務残高がGDPの2倍になろうという国の通貨が独歩高というのは、何と説明されても腑に落ちるものではない。まして、この円高傾向そのものがマーケットとやらのご意向によっては、ある日突然に激変しかねない、というのだから、なおさらのことだ。相場の乱高下が起これば起こるほど、それによって大もうけをする人が出る(その反面、大損をする人もいる)。射倖心とは言わないまでも、投機の心理がそうした傾向を増幅するというのも見やすいところだ。
額に汗した労働、あるいは「ものつくり」やまっとうな商いに比して、投機とか「あぶく銭」の稼ぎに対する反感は昨日今日発生したものではない。ヴェニスの商人に見られるシャイロックへの敵意はユダヤ人に対する偏見だけではなさそうだし、わが国でも金貸しというのは「因業な」とか「血も涙もない」みたいな形容詞を伴う場合が多いのは周知の通りだ。もちろん金融機能に対するこうした一面的な見方が当を得ないのは改めて指摘するまでもないが、オカネそれ自体の商品化に伴う影響力の強烈さには、眉をひそめる向きも決して少なくはないと思われる。
眉をひそめようが、拝金主義を軽蔑しようが、現に億とか十億単位の年収を得る人々が発生するのは留めようがないし、与信機能の拡大を規制によってなんとかしようという試みはおそらく無駄な努力に終わる。とすれば、清貧を徳目とする文化の再興を祈るか、あるいは累進の所得税率を禁止的に高くするといった方策によって対応する他はあるまい。幸いわが国では富裕層に対する課税強化にアメリカほどの反発はなさそうだから、億万長者が雪崩を打ってタックスヘイブンに逃げ出すことさえ覚悟しておけば、事態はそんなにひどいことにはなりそうもない。
もちろん国際通貨に振り回される事態を問題視しない、という対応も可能だし、他人の極端な高収入に焼きもちを焼かない、というメンタリティも可能だ。ただし、兆の単位の蓄財に成功した富豪たちが、馬鹿げた消費にのみ関心があるのではなく、社会問題の解決は政府にお委せではなく、私財を投じて斬新な手法で取り組む、というアプローチもアメリカではそんなに珍しいことではない。多くの文化がそうであるように、「いいとこどり」の寄せ集めという訳には参らないから、都合のいい時だけは大きい政府で、それ以外は市場経済万能、というのは通らない。どんな社会が住みやすい社会なのかは十人十色というのが真相に近いとすれば、そろそろ通貨問題への対応もまじめに考えてみる時期に来ているように思われてならない。「いいとこどり」は、安いエネルギーも欲しいし、安全の保証も必要だ、という欲張りに限った話ではない。
2011年 08月 10日