2016年8月24日
akira's view 入山映ブログ 公務員制度改革
東日本大震災から6ヶ月。いまだ余震も収まらず、福島原発も制御出来ていないというのに、台風12号の大きな爪痕である。これほどの天災(人災の部分があるのはしばらく措くとして)が打ち続けば、一昔前ならば高僧に依頼して加持祈祷を行っていただろう。合理的精神に満ち満ちた21世紀のわれわれとしては、神社仏閣頼みではなく、政府が、官僚機構がそれに代わって事態の収拾に当たることになる。
加持祈祷を行った高僧がどれほどの報酬を頂いたか、頂かなかったかは詳らかにしないが、政府が、官僚機構が事に当たったからといって、別途の収入を得る筈もないし、得るべきでもない。国民的災害とも言うべき事態に当たって、物資やサービス提供に当たる私企業がほどほどの利潤を得るのは格別、公僕たるものがこの機会を貪って私利に走るなどということは、あってはならないし、あるはずもない、と信じたかった。その信念がぐらついたのは、他でもない、あの経産省の古賀正明氏の内部告発本に目を通してからだ。
もともと内部告発者(whistle blower)というのには、さして好感を持っていた訳ではない。その存在意義や機能について、理屈の上では納得してはいるものの「本当に他に方法はなかったのか」みたいな醒めた受け取り方の方が先に立っていた、ということかもしれない。だが、古賀氏の書くところを読み終えた後には、むしろ爽快感とともに、官僚機構というのがここまで堕落していれば氏の手法もやむを得なかったのだろう、という感が深い。災害復興の予算を利権視し、所属官庁の影響力確保と天下り先の対象としかみなさない、という官僚の生態には、呆れるというよりおぞましささえ感じる。
ナイーブに古賀氏の言い分を鵜呑みにしている訳ではない。しかし、自民党時代に培われた政官財の癒着と、公務員改革を巡るその後の迷走ぶり目の当たりにすれば、全ての状況証拠は氏の告発を裏書きしているように思われる。翻って泥鰌宰相は、財務省のスポークスパーソンかのごとく巷間囁かれている。増税ありきの政治判断が最優先事項である、という想定に基づいた評価のようだが、政策選択に当たっての官僚の影響力と、構造的癒着とは似て非なるものであることは言をまたない。われらが泥鰌宰相が果たしてどちらなのか、ぜひ見守ってゆきたい。のみならず、本来このテーマは「みんなの党」渡辺喜美氏の独壇場であった筈だ。この時に当たって、氏の再登場を期待すること切なるものがある。
2011年 09月 05日