2016年8月25日
akira's view 入山映ブログ 泥鰌内閣
口から先に生まれた様な新・財務大臣のTV出演を観ていると、まこと新しい政治家像の誕生だ、との思いが深い。本来その登場が清新なイメージである筈の小宮山厚労相が、満面の作り笑い(あれがご本人の素顔ならばゴメンナサイ)を浮かべつつ、タバコ値上げは国民の健康のためだ、とのたもうのに比較するとその感は一入だ。
新しい政治家像であろうがなかろうが、とにかくまともに仕事をして頂ければ良いのは言を俟たない。期待感に満ち満ちて船出した民主党政権が有権者の期待を裏切り続けた原因を振り返ってみただけで、泥鰌内閣の閣僚に求められる「まともな仕事」をするための「べからず」集はおおよそが明らかになろうというものだ。
何でもかんでも「自分で」やろうとするのは策の愚なるものであることを認識すること。換言すれば、スタッフを使いこなしてこその政治主導であり、大臣自ら電卓を叩く羽目に陥るのは、既にして官僚の掌の上で踊りを踊っていることを認識すべきだということ。かといって、ブレーンやアドバイザーに怪しげな大学教授や評論家崩れを安易に登用しないことも肝要だ。先の公務員制度改革に当たって、渡辺喜美氏が官僚に相対するに、官僚出身の一級品のスタッフを以てした故知はもっと活用されて良い。モノの一流二流を判別する「めきき」そのものが政治家の目方を量る格好のモノサシなのだから。
世間受け、世論受けする「気の利いた」台詞をはきたい誘惑にじっと耐えて、愚直に自らの信ずるところと、その理論付けに専念すること。発言が信念に基づくものであるのか、一時の思いつきなのか。はたまたどなたかのお手軽なレクチャーによるものか。よって将来ぶれまくるのか、頑として揺るがないのか。それが単なる頑迷固陋な思い込みなのか、思索の集積の上にたつものであるのか、見る人が見れば明らかなのは人の知るところ。寄せ集めのマニフェスト以外に綱領の様なものを持たない民主党の政治家にはかなり難しい要求かもしれないが、この要件を満たさないで国政に携わられたのでは国を殆うくする。
素敵な政権が二代続いたこともあって、反面教師の「べからず」集はこれ以外にも無数に存在する。が、取りあえずは、この二つだけでもしっかり実行されれば、泥鰌内閣の評価は泥鰌ならぬ鰻登りになると思うのだが。
2011年 09月 06日