2016年8月26日
akira's view 入山映ブログ 診療報酬
世界の大都市で、一際立派なビルを見かけたら保険会社だと思ってまず間違いない。日本の場合にはこれに銀行が仲間入りする。もっとも東京都心の目抜きの交差点では、建物の立派さよりも、同じ都市銀行の支店が目の届く範囲に複数(合併前の行数だけ)存在しているほうが遥かに目立っている。(これについては先にも触れた。10.10.28「蛙の面」)おおよそコストダウンとか、顧客への還元ということにはまるで関心がない。こういうのを「民僚」とでもいうのだろう。だから貸し渋り、貸しはがしの話は聞いても、新規ベンチャーに「めきき」よろしく無担保で貸し出した、なんて言う話はとんと聞かない。それどころか融資先がなくて困るから、と超低金利でお客から預かったお金で国債を買って利ざやをとるくらいしか思いつかない。はては顧客の無智につけ込んで、外為の取引にはめ込み、「損をなさいましたか。この円高ではね。」で済ませる。等など、都市銀行の増上慢に腹を立てだしたらきりがないからこれくらいにしておこう。
地方都市に行くと、立派な建物にお医者さんが加わる。国道沿い、県道沿いの建物で目を引くものがあれば、お役所か郵便局、銀行か保険会社、それか開業医の医院だと思って先ず間違いない。別に開業医が儲かろうが、立派なビルを建てようが、ベンツやBMWに乗っていようが、それに焼きもちを焼く必要はない。しかし、小宮山大臣は診療報酬の更なる引き上げが必要だとおっしゃる。で、その理由たるや、過疎地の医師不足、医療サービス供給レベルの向上のためだそうな。ならば、定めし過疎地に限って引き上げるのかと思いの外、これは全国一網打尽らしいではないか。低所得層の収入増のために、全国民に一律賞与を出す様なもので、およそまじめな検討に値する議論だとは思われない。こういう市民感覚から隔絶した様な論理が登場するのは、ほとんど常に官僚あるいは民僚の「常識」に依存する提言であると考えて間違いない。
その典型例が、「公益」法人に対して年度における収支がぴったり一致することを求めたりする今回の公益法人制度改革であることについては再三触れた。(9.3.26「公益法人制度改革(3)」他)そうした非常識を否定しないまでも、市民感覚に照らして「これはいかがなものか」と問いかけるのが政治家だろう。それが出来ていない。(10.8.2「蓮舫さん」)診療報酬に見るように、ことは公益法人制度改革に留まらないのはいうまでもない。泥鰌内閣閣僚の目玉商品のひとつ女性閣僚が、早くも官僚の常識に絡めとられているのでなければ良いのだが。満面に笑みを浮かべながら「官僚節」を高らかに歌うのでは、長妻さんが泣こうというものだ。
2011年 09月 07日