2016年9月5日
akira's view 入山映ブログ ローエングリン
バイエルン歌劇場のローエングリンに行ってきた。お目当てのカウフマンが胸腺の手術とかで来日キャンセル。(その割には9月にコヴェント・ガーデンでリサイタルシリーズ。11月にはMETでファウストを歌うそうだ。日本公演などというのは眼中にない、ということかな。)ただ。その代役のヨハン.ボータが表現力、声量共に天晴れなヘルデン・テノールで、大満足。もっとも水も滴る良い男のカウフマンに較べると、ボータさんはウェストだけでもパヴァロティの1.5倍はありそうな体格だから、女性ファンにとっては少し印象が違ったのかもしれない。
それにも負けず素晴らしかったのがオルトルートを歌ったワルトラウト・マイヤー。歌唱力、演技力共に抜群で、ただ立っているだけで妖気が漂う感さえあり、エルザ役のエミリー・マギーを食ってしまった。とはいえ、このエルザも水準を超えた出来だったといって良いから、いかにマイヤーが凄かったか、ということだろう。テルムラントのニキーチンもなかなかの出来。ハインリッヒのクムントゾンは低音にやや難があったが、それなりに朗々と歌い上げた。これを要するに、大変満足すべき舞台だと言って良い。ケント・ナガノの指揮も極めて平明を心がけていたようだったし、音楽的には何の過不足もなかった。
ただ、例によって演出はどうにもならない。リチャード・ジョーンズとか言う演出家の手になるようだが、意味もなく舞台を駆け回る労働者がいたり、何かというとピストルを振り回したり、ローエングリンとエルザの新居は安手の2バイ4のような建物が舞台中央に鎮座ましまし、結婚式の場面ではご丁寧に屋根まで吊り下げて葺いてみせてくれる。セメントミキサーやレンガ積みまでやってのけるという始末だ。こともあろうにこの演出を堀内修とか言う音楽ヒョーロンカがよいしょをした文章をプログラムに掲載する。これが稀代の悪文で何を言っているのかがさっぱり解らないという始末だから、まあ、類は友を呼ぶ、ということなのかもしれない。
この後ロベルト・デヴェリューでは、エリザベス女王が女社長に化けたりするらしいから、考えただけで憂鬱になるが、なんでこんな演出がまかり通るのか、不思議と言えば不思議である。どんな馬鹿な演出であっても、これほどの歌手がしっかり歌えば周りの下らない小道具などは消え失せて、素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれるのだから、それでよいではないか、という考え方もあるのだろうが、仄聞するところによれば、「新」演出になってから、例えばバイロイトの客足は激減したとか。ざまあみろ、といいたくもなるではないか。それにしても、どんな質の悪い作品にも提灯持ちが出現する、というのも、昨今の日本の政治情勢に引き写してみると、そんなに他人事だけではないのかもしれない。
2011年 09月 30日