2016年9月7日
akira's view 入山映ブログ ナクソス島のアリアドネ
バイエルン歌劇場最後の演目は「ナクソス島のアリアドネ」。なんていうと、3回続けてバイエルンのブログになるから、定めしオペラ三昧の優雅な毎日にも聴こえるかもしれない。が、真相は少し違って、バイエルンの公演日程にあわせて、月に一度の割合の入院治療の消耗戦を計画した、ということだ。よって入院中はブログもお休み、というのが実態である。
さてアリアドネだが、アドリエンヌ・ビエチョンカはタイトルロールと四つに組んで演じきるのにはいささか力量不足の感が否めない。単調な歌い回し、」声量共にいまひとつ。他日の成長が俟たれる、ということだろうか。ツェルビネッタ役のダニエラ・ファリーは、コケティッシュな役回りを楽しく演じていたが、とてもコロラトゥラの至芸のアリアというのには遠く、それなりの役作りに成功していたという域は出ない。勿論昔日のグルヴェローヴァには比すべくもない。結構儲け役だったのが作曲家役のアリス・クートというところだろうか。
劇中劇のツエルビネッタ部分は、男声に女装させたり、黒のブリーフ一枚で踊らせたり、と悪趣味な演出も多いものの、それなりにふざけ通したコミカルな味を出していた。それに引き換え、アリアドネ・バッカスのギリシャ悲劇部分は、力量不足の方が強く意識されてしまった、というところだろうか。特に、磨りガラス状の大きな照明の前でシルエットにして二重唱を歌わせるのは、観客の視覚というものを無視したとしかいいようのない愚劣な舞台で、大いに閉口したことだった。
それにしても、最近の演出というのはどうしてあんなに安手な装置が多いのだろう。ヨーロッパの歌劇場はどこもかしこも火の車のようだから、ふんだんな制作費がかけられない事情は判らないではないが、ゼッフェレリ風の重厚な舞台には久しくお目にかかっていない。意味不明な独りよがりもさることながら、書き割りとプラスチックに満ち満ちたぺらぺらな舞台は、いつかツケが回ってきそうな気がするのだが。かつて学生演劇盛んなりし頃、「おや、紙ずれの音がする。源氏の殿のお越しでは」と揶揄された倹約舞台のことなどが、ふと思い出されたりすることだった。
2011年 10月 11日