2016年9月23日
akira's view 入山映ブログ お伽噺
九州の山深いところに、いまだに殿様をいただいている村落があると聴いた。というとなにやら乃南アサの「しゃぼん玉」めいた世界だが、こちらの方は檜一本伐れば村が一年食べられるという経済力にも裏打ちされて、源氏の落人部落とはいささか趣を異にしているようだ。殿様は有史以来のお家柄ということで、その昔は血なまぐさい歴史や権力闘争に彩られたこともあったようだが、現在では豊かな山林の恵みもあって、穏やかな明け暮れが続いていたらしい。歴代の当主には開明的な人物が多く、子弟の多くを海外に留学させた。長男の花嫁には、遠く京・紀州や奥州を始めとする各地の名家から迎えるのを常としていたようだが、当代は珍しくご当地の豪商である粉屋の令嬢に白羽の矢を樹てた。
この令嬢が才色兼備の上に思いやり豊かで慎み深いという、まさに童話のお姫様のようによく出来た人だったから、当代の長男が留学から帰って、ビジネススクールでMBA同期の才媛を伴侶に選びたいと申し出た時も、さして異議も異論もなく話はまとまったようだった。ところがこの才媛は、最新の経営学理論を林業に適用して世界市場に打って出ることにしか興味がなく、地域文化はおろか、地域共同体の殿様としての機能やお仕事には全く関心を示さないあたりから、少し周囲とのきしみが目立つようになってきた。大風や水害で村人に大きな被害が出た時も、高齢の両親が見舞いに、救捐に夜昼を問わず心を砕いていても、全く関心を示さない。唯一関心事の林業経営にしてからが、山林保全に縁の下の力持ちを勤めるまたぎや森人の存在さえご存じない机上理論だから、周りが快く思う訳もない。その周囲の反応が彼女には固陋な因習としか映らないから、事態は加速度的に悪化してゆく。
悪意ある人々に取り囲まれている、という強迫観念からか気の病を患うことになり、悪いことは重なるもので、そんな母親の影響があったのかなかったのか、一人娘までが村の小学校で「いじめ」にあっている、と母子ともに思い込む。挙措動作が尋常ではなくなり、転がりだした車の留めようもない有様は村人たちの口の端に上るようになったという。その昔であればこんな時には森の奥から「風」と呼ばれる一族が現われて、神隠しを演出したり、秘境にお連れしたりもしたものだが、21世紀の今日ではそんな訳にもゆかず、高齢の両親は心労のあまり病の床につく、という事態を迎えたそうな。言い伝えによれば何千年と続いた殿様と村人の穏やかな関係も、いまや危殆に瀕しているという。下世話にはよくある「出来の悪い嫁」物語のバリエーションなのだろうが、この九州の小宇宙は崩壊の日を待つばかりだとも聴いた。
現代のお伽噺としては詩情豊かな滑り出しだったのが、いささか寂しい幕切れになりそうなのもこの時代を反映しているのかもしれない。あどけないお話でした。
2011年 11月 17日