2016年9月28日
akira's view 入山映ブログ 快哉
民主党政権も能力的に問題があるが、さりとて自民党もあの始末ではなあ、というのが大方の国民の意向だろうし、それは国政投票率にも、世論調査にもはっきり現われている。それに気づかぬほど鈍感な政治家ばかり(中には全く鈍感なのも存在する。選挙に絶対に強い代議士に多い。)だとも思わないが、さて、ではどうする、という話になると、知恵がなかったり、オカネがなかったり、既得権益の枠に絡めとられたりで、さっぱりこれはという動きにならないのはご承知の通りだ。唯一異色を放っているのはみんなの党だが、これは余りにも弱小な上に、ブームを起こし損なっているのはやはり構成員の母集団に問題があるのだろう。(敢えて理由は割愛するが、ここでは公明党、共産党、社民党、その他の幾つかの政党は議論の対象にしない。)
そうした国民の不満、あるいは閉塞感を見事に表現したのが今回の大阪のダブル選挙で、心から快哉を叫びたい。念のため付言すれば筆者は橋下氏あるいは維新の会の政策主張に全面的に賛成するものではない。しかし、一般論としての既成政党に対する批判の他に、地方議会議員の大多数、そしてそれと癒着する地方公務員の存在がいかに「無駄メシ食い」かを知るものとしては、二重の意味で快哉を叫びたくなる訳だ。ところが、今日までに耳にした限りでは民主党幹部が「経済を始めとする閉塞状況に対する不満」の現れだろう、と能天気なことをおっしゃっていたのはともかくとして、自民党総裁は、既成政党に対する批判だという意見には「与しない」とのたもうた。既成政党がまさになりふり構わず一本化して応援した市長候補が惨敗した理由をしっかり総括も出来ない指導者なんていうのは有害無益な存在だと言って良いだろう。
前にも書いた(TPP(3)11.13)が、大阪維新の会や愛知県の動きやエネルギーを、どの政党も取り込む、あるいは協働することが出来ない(みんなの党と国民新党は除く)のみならず、対立候補をたてて批判勢力に回る、というのは、とくに民主党の場合、小異を重んじて大同を放棄しているそしりを免れまい。愛知の場合は始めての経験だから失敗は許されたものの、大阪の場合はほとんど政治的に見れば自殺行為という他はない。いわんや、その情勢把握さえ出来かねている自民党総裁などは、政治家としての資質さえ疑われても仕方あるまい。政治的判断の誤りを是正するためには、大阪都構想に賛成か反対かはともかくとして、橋下さんの提言する二重行政のムダの除去に向けて、国政レベルで強力な援護射撃をすることだ。結果を見て、慌ててすりよってリップサービスをしていれば良いという訳にはゆかない。あの汚いネガティブ・キャンペーンをものともしなかった大阪市民、大阪府民の良識には敬意を払うが、それで留まって良い訳がない。
平松さんを貶めるつもりはさらさらないが、橋下独裁批判、彼の公約を空理空論だと非難する選挙をしたところでもう勝負はあった。何も平松さんだけではない。国政レベルでも問責決議案などという馬鹿げた政治手法を真面目に取り上げている自民党の存在は、あきれかえった国民が消極的な民主党支持に回ってしまう、という意味で彼と同じ過ちを犯すことになる。
2011年 11月 28日