2016年10月6日
akira's view 入山映ブログ ドナルド・キーンさん
いまさらドナルド・キーンさんが何者であるかについて紹介する必要はあるまい。第二次大戦に際して米国軍隊が設立した日本語学校に学んだことが契機になって、戦後も深く日本に関わるようになった素晴らしいアメリカ人の一人だ。それにしても、開戦と同時に英語を「敵性言語」として一切の使用を禁じた日本と、敵を知るためには先ず言葉から、と真っ先に士官に日本語を教育しようとした米国。この時点でもう勝敗は見えていた、と言っても良いかもしれない。閑話休題。その後日本文化は多いにキーンさんのお世話になるのだが、彼は日本を愛して、今回の大震災に心を痛め、彼として愛する日本のために出来ることはないか、と考え、日本に帰化する(日本人になる)途を選択する。
これは大きな話題になり、マスコミ等でも報道されたからご存知の向きも少なくないだろう。筆者は日本文化とか歴史の領域におけるキーンさんの功績を評価出来るほどの知識はない。存じ上げるようになったのは、大のオペラ好きのキーンさんが、ヴェルディ協会の催しで連続オペラ解説のシリーズでお話しされるご縁なのだが、つい先日8回目の「オテロ」が開かれた。生粋のニューヨークっ子のキーンさんは、METと共に育ってこられた訳だから、オペラ好きと言っても、もうアマチュアの域を超えて、ほぼセミプロと申し上げても良いだろう。何よりも、もうオペラが好きで好きで、話しているだけで目尻が下がる、というその感じが何とも言えない。
夜の懇親会の席上、帰化手続きは順調に進んでいるかをお伺いしたところ、なんと戸籍謄本を要求されたのだという。周知のように、米国には戸籍というものがない。ないところに抄本や謄本を要求されてもどうしようもないではないか。それならばキーンさんが両親の間の嫡出児であることを証明する書類を求められていらっしゃるとのこと。法務省の出先のお役人の融通の利かない顔が目に浮かぶ様な話だ。日本国が束になってキーンさんが日本人になりたい、というのを何とか邪魔しようとしているというものではありませんか。どんな偉い人でも法の下には平等で、艱難辛苦を味わってください、というのは天晴れ法治国家というべきなのだろうが、ことは移民労働力、難民認定と同根であるといってよいだろう。
日本の常識、世界の非常識というのは珍しくないが、歴史の所産、文化の差異だからと胸を張っていて良いものもあれば、そうでないものもある。そうでない時には改めるに憚ることないのが望ましいのは言うまでもない。
2011年 12月 11日