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2016年10月7日

「豊川海軍工廠の悲劇」(2)及部十寸保


1 海軍工廠と私(後編)

豊川海軍工廠従業員生存者で組織されている「八七会」というのがある。この会は、昭和二十一年九月、妙厳寺境内に供養塔を建立した工廠報国団が中心となってつくられた。この会が、毎年夏に稲荷公園で戦没者慰霊祭を盛大に行っていた。私もときどき参列した。
そして、桜丘高等女学校から学徒として工廠勤務をし、爆撃の犠牲にあった引率教員故西村先生、艇身隊に所属した二人を含む三十八名の慰霊祭を、昭和六十年十月八日に、学内で催した。引率教員だった杢野美代子先生や遺族の方々とその後しばらく交流が続いた。私が戦没者の方の遺影集めに奔走したからだ。遺族の方々のお話も聞けた。慰霊祭の記録集第一巻「その朝」、第二巻「赤い風呂敷」は、皆さんが寄せてくださった体験記だが、ここに遺影も掲載した。三十八人、それぞれ短い人生があったと実感した。
私には工廠被爆の実体験がない。できる限りの事前了解を得て、皆さんの手記、お手紙を掲載した。
尚、学内にある平和の乙女の祈願像は、八七会が四体作ったうちの一体である。学園の大久保理事が工廠の主計局長であったご縁で、学内に設置された。
被爆五十周年の時、稲垣裕久先生が編まれた「平和を求めて」が刊行された。これは、大変立派な記録集で参考になった。



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