2016年10月14日
私の戦争体験 戦争を憎み平和を守ろう(3)本多勇夫
く豊川海軍工廠入廠〉
戦争がだんだん激しくなる中で、私は高等小学校を卒業しました。経済的に上級学校へ行けなかったので担任の先生が、豊川の海軍工廠へ行けば、給料をもらいながら工業学校の卒業資格が取れる、と推薦してくれました。合格通知をもらって入った所は工員養成所でした。
2年間で卒業のはずでしたが、戦争の旗色が悪くなってきたので1年で卒業です。すぐ働けというのです。私はちょうどここに爆弾がありますが、この胴体に当たる信管を造る工場に配属されました。
当時の豊川工廠は、東洋一と言われる大軍需工場で、従業員数は57,000人もおりました。その中に皆さんと同じ学生、生徒が学徒動員され、6,000人も働いておりました。先程校長先生が言われましたように、本校の女生徒も120人働いておりました。