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2016年10月17日

私の戦争体験 戦争を憎み平和を守ろう(4)本多勇夫

〈工廠の爆撃〉
 昭和20年8月7日。その日は今日のように暑く、朝からよく晴れた静かな日でした。私は夜の勤務を終え昼勤者と交代して、寄宿舎に帰って9時半頃寝ました。寄宿舎の場所は現在の豊川工業高校の西です。豊川工業高校の場所は当時工員養成所でした。
 床に就いて暫くすると「空襲警報発令」という放送が入りました。「また警報か」とそのまま寝ておりますと、突然「ドドドドーン」と物凄い地響きと共に建物がぐらっと揺れました。これは大変だと飛び起きました。外へ飛び出すと工廠の方は…工廠といいますと、現在の豊川自衛隊のある所から、日本車輌や熊谷組のある所までの広大な工業地域…そこが工廠だったんですね。物凄い黒煙が上がっております。西の上空からB29爆撃機が、今までよりぐうっと低空で、10機ほど胴体をキラつかせながら飛んできます。
 その時私は「いざという時には工場を守れ」と徹底的に叩きこまれておりましたので、工場が心配になり、寄宿舎から爆撃を受けている工廠めがけて一生懸命走りました。そして姫街道、今の国道362号線ですね。その道沿いに映画館がありましたが、その手前まできた時、突然黒煙の中から必死に、脱出してくる人達に出合いました。そして、その無残な姿に立ちすくんでしまいました。
 全身真っ黒けです。恐怖でひきつった顔は、目だけ光っています。腕を一方無くした人。頭から血を流しながら、片足を失った人に肩を貸してくる人、腹を押さえている両手の間から、臓物がはみ出しかけている人。工廠の西堀から流れてくる川には、首だけ出して這ってくる人もいます。一瞬立ち止まりましたが、気を取り直してその人達を避け、裏道から工廠の正門に向かって走り続けました。走りながらヒューザザザザザーと爆弾の落下音が聞こえると、目と耳を両手で塞いで地面へ伏せ、また立ち上がって走りました。



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