2016年10月19日
私の戦争体験 戦争を憎み平和を守ろう(6)本多勇夫
〈悲惨な遺体収容作業〉
翌日からは防空壕に埋まった人や、地上に散乱している遺体の収容作業が行なわれました。私は形の無くなった工場周辺の遺体収容に当たりました。防空壕を掘りますと、女子生徒と思われる遺体が現れました。土を払い落とすと、鮮やかなカスリのモンペ姿です。前の人に抱きついて、唇をきっとかんでおります。全く外傷はなく、そのまま死んでいるんです。猛烈な爆風にやられたのですね。何とも憐れでむごたらしい姿でした。
空襲で死んだ人の数ですが、2,577人と言われておりますけれど、実際は3,000人近いとも言われておりますね。その中には452名の貴方達と同じ、学生、生徒が含まれております。そして、皆さんの先輩が先生を含め48名亡くなっております。
その遺体の収容が大変でした。暑い最中に爆弾で焼かれておりますからすぐ腐ります。物凄い悪臭です。死体の臭いですね。手足を持ちますと、べろっと皮がめくれてしまいます。トラックや大八車に乗せ、私達の宿舎の横にある養成所のグランドへ運びました。他にもう一箇所、工廠の北の赤塚山に運びました。
遺体を運んできて、ずらっと並べるのですが、数が多過ぎて棺桶もないのです。止むを得ず幅2米余り、長さ10米余り、深さ1.5米程の穴を沢山掘りました。そこヘトタン板に乗せて運んだ遺体をごろん、ごろんと横にして積んでいくんです。誰だか分かるように、身分を証明するものや身につけている衣服は、体につけておきまし。遺体を積んだ上に土を盛り上げ、低い塚にしました。そこへ埋めた数は、1,300体を越していたと思います。