共立荻野病院コラム詳細
TOP > 共立荻野病院コラム一覧 > 私の戦争体験 戦争を憎み平和を守ろう(8)本多勇夫
  • 診療科目一覧
  • 内科
  • 胃腸科
  • リウマチ・膠原病科
  • アレルギー科
  • リハビリテーション科
診療時間
  • 外来診療時間

    休診日
    月〜金 午前9:00〜午後12:00
    午後3:00〜午後6:00
    土・日・祝日・年末年始・夏季
    (3日間)
  • デイケア利用時間

    定休日
    月〜土 午前9:00〜午後4:00
    日曜・年末年始
  • 院内のご案内
  • 医師紹介
  • 共立荻野病院デイケアセンターフラミンゴ
  • 住宅型有料老人ホーム プメハナ

2016年10月21日

私の戦争体験 戦争を憎み平和を守ろう(8)本多勇夫

〈日中戦争の真実〉
 ところで、戦争が終わって間もなく東京で、日本の軍部に対する、戦争責任者の裁判が始まりました。戦犯裁判ですね。
 その結果、私には想像もしなかったショックな事実が判明しました。先程、話しました昭和12年に始まった中国との戦争は、中国が仕掛けた戦争でしたね。しかし、事実は、中国大陸を侵略するために、日本軍が仕掛けた戦争だったんです。盧溝橋事件をきっかけにして、日本は中国全土へ軍隊を送ったのですね。臨時に招集された日本軍は、上海に上陸し、さらに南京に向かって大進軍を続けました。
 そしてその軍隊は「進軍を続け戻るな、お前達に送る食糧は無い、行く先々で調達せよ」という命令を受けて進軍していったんです。兵隊達は行く先々で、掠奪、強姦、放火、殺人を繰り返して進んで行きました。日本は中国との戦争は、身内のいざこざだからといって、宣戦布告せずに事変と呼んで、国際的な避難を避けようとしました。そして国民や軍隊には「暴支膺懲」といって、「支那入は無知で乱暴で、どうしようもない人間だ、だから懲らしめるのだ」と宣伝したんです。
 こんな、とんでもない理由で始めた戦争ですから、中国人を容赦なく殺して行くんですね。
 また、掠奪し強姦した後、全て殺し放火して焼いてしまって、国際的な避難のもとになる、証拠や証人を残さないようにして、進んでいったんですね。



共立荻野病院コラム一覧へ戻る