2016年10月31日
akira's view 入山映ブログ 推理小説
推理小説にも警官は犯人にしないとか、いくつかの約束事があって、アガサ・クリスティがアクロイド殺しで「私が犯人です」をやった時にはアンフェアだ、いやルールのうちだと物議を醸したものだ。昨今はとんとそんなお約束はどこかにいってしまったらしく、TVの警察ものなんぞは警官を犯人にしてはばからない。一つにはオカミの信用がかくも地に落ちた、ということもあろうが、決して観ていて後味の良いものではない。
震災から一年も経とうと言うのに、いまだに打つべき手が打たれていなかったり、それはまだしも、やりもしないことをやりましたと大本営発表があるのは東京電力に限ったことではない。かくしてなしくずしにオカミの言うことは信用出来ないと言うのが当たり前になるとすれば、計画的にやっているのならよほどの知能犯だし、無智でやっているのなら本気で役人の総取り替えでも考えなくてはなるまい。
ことがかほどに重篤な域に達しているというのに、何とお考えになることが休眠口座の800億をどうしようと言う話だと言うから、呆れるのを通り越して寂しくなろうと言うものだ。いくら身の丈相応の知恵しか出ないからと言って、お粗末すぎはしませんか。習近平とオバマが壮大な狐と狸を演じているのに比して、スケールの違いと言うか、矮小さと言うか、ここは遠吠えでも良いから一言欲しかったところではありませんか。
そんな中でひとり元気が良かった橋下さんが、船中八策を打ち上げたあたりからマスコミが俄に冷ややかになったと見るのはひが目だろうか。革命的言動は困るので、あくまでもマスコミが料理しやすい従来の記者クラブべったりの体制擁護派でなくては提灯持ちも致しませんと言うことなら、これは由々しき事態だと言うべきだろう。強行突破で国民の支持を頼りにするのは天晴だが、ここは折角すり寄る「みんなの党」を邪険にするだけが能でもあるまいと思われるのだが。
とかくシニカルになるのが訳知りめいて世の耳目を傾けさせるようになったのでは非生産的な潮流だと言うべきだろう。そうでなくても比例代表で訳の解らないのが沢山政治家になり過ぎた。5減は当然として比例定数も断固削減すべきだろう。もっと民主主義的熟議の方法論に習熟するまでは、むしろ対決を尖鋭化することの方がオカミの信を取り戻す早道のように思われるからだ。
2012年 02月 15日