2016年11月7日
akira's view 入山映ブログ ブログ再開
食道ガンが始めて見つかったのは2003年だから、発病以来10年は生きていることになる。というより事態が深刻になったのは昨年の4月に肝臓に多発生の転移が見つかってからで、手術だ放射線だというのはもう適用出来ない。抗ガン剤治療あるのみだ、という医師の見立てで、1ヶ月おきくらいに一週間づつ入院。計6回の抗ガン剤の点滴を受けるようになってからだ。抗ガン剤というのはガン細胞だけではなく健全な細胞にも破壊力を行使してくれる。これが人のいう副作用というやつで、手足のしびれは言うに及ばず、聴力ががた落ちになったり、歩行もママならぬ状態を惹起したり、それでもそれなりに肝臓のガンはコントロールされていてくれる、つまりやたらに大きくならないでいてくれる、というのだから、命を取りますか、髪の毛が抜けるのをとりますかみたいな不本意な選択もやむを得ない、としたものではあった。ところが初期の放射線治療の副作用で肺嚢と心嚢に水がたまり、狭心症を起こして救急車で担ぎ込まれたのが治療開始後2年くらいの頃で、以来循環器内科のお世話にもなることになる。あげくのはてに腎機能ががた落ち(これも副作用)であるから、こんな身体機能ではこれ以上の抗ガン剤治療は出来ない、と宣告されると、後はなんのことはないガン細胞が五体を荒らすのを黙って見ている他はない、というに等しい状態とは相成った。
それではいかにも口惜しいから、体内ガン細胞を焼灼するというラジオ波治療、それに比較的副作用の少ない抗ガン剤の併用で何とか延命を図ってガンの拡大をコントロール出来ないか、というのが目下の最大関心事なのだが、「もうそろそろ緩和医療、つまりターミナルケヤーの準備をしておいた方が良いですね」みたいなことを主治医はけろりとのたもうし、お前の余命は月単位だよ、と宣言されているようで心穏やかならざる事ひとかどではない。
その限りにおいては、ついこの間まで自分が当たり前のこととして考えていたしたいこと、できそうなことを考えるタイムスパンが思いの外に縮小した感じがないではない。もっとも70歳を過ぎた老骨が、仮に元気であったにしても第一線に躍り出て刀を振り回されでもしたら、これははた迷惑だろうし、世のため人のためになるとも思われない。次の時代を担ってくれる次の世代の仕事がしやすいように、草むしりや球拾いのようなことをすることこそ我らの世代のありようだ、と悟ったりするのだから、自我の強さで人生を過ごしてきた様なところのある筆者にしては、ガンの罹患はまんざら悪いことばかりではないのかもしれない。
そこで気になることはと言えば、正直明るいニュースを探しあぐねたりもするので、諸事万端これ悩ましき限りとも謂うべき状態だが、やはり一番の問題は日本の政治経済の状況、というより本来「みんな」にとって重要であるべき様々な問題状況に対して、「自分の手で」なにができるか、ではなく、「政府は何をしている」「お役所はどこを見ているのだ」「企業のしかるべき責任が果たされていない」といった、あなたまかせ、顧みて他を謂うという態度の蔓延だろう。これでは政官財のトライアングルを嘆いたりも出来ないし、何より明日に向けての積極的な対応は出てこない。市民がみんなの手で社会を良くすると言うと、そんなユネスコ村の様な理想郷を、と一笑に付される向きも少なくないだろうが、ことはそれほど夢物語ではない。
強制的に徴収される税金を原資とした政府の再配分機能、限界利益極大化を動機とする飽くなき企業の生産活動、それらが近代社会にとって必須なものであることは当然として、それ以外の活動、つまり利益動機に基づかない、もっと具体的に謂うと利益動機に満ち満ちていても、上がった利益を関係者で配分してしまうのが最終目的ではなく、それを社会のために、より良き公共のために再投資してゆく、という活動が今よりも多くの支持者を得ることは充分に期待出来るように思う。それがどうした、それでどうなるについてはまた回を改めることにする。
2012年 05月 26日